運命論に支配された時間旅行
ボクと妻が出会ったのは、30代のときに働いていた祇園の芸舞妓事務所。ところが付き合うようになって、とても不思議な話を妻から聞かされた。過去のブログでも書いたし、ラジオ番組に出演したときにも話したことがある。
妻が不思議な明晰夢を見た。ある場所に立っていると、目の前の家からいきなり中学生のボクが出てきた。とっさに体調の悪いフリをしてかがんだ妻を見て、ボクが「大丈夫ですか」と話しかけてきた。それで大丈夫だと答えると、忙しそうに走り去ったという夢。
妻の描写によると、その場所はボクの実家にまちがいなかった。ちなみに妻がその夢を見たときは一度も実家に行ったことがない。そして妻が隠れた電柱は、その当時にしかなかった。さらに驚くことがある。その話を妻から聞いたボクは、中学生の夏休みに水泳部の練習に行く前、その出来事があったことを思い出した!
簡単に書くとこんな出来事。信じるか信じないかはあなた次第www
まさにこれと同じようなことをテーマにした小説を読んだ。
2022年 読書#90
『きみがぼくを見つけた日』上巻 オードリー・ニッフェネガー著という小説。最初に映画を観て感動したので、原作を読むことにした作品。思った通り映画のエピソードはほんの一部で、原作では主人公たちのエピソードがもっとたくさん書かれていた。それが実に不思議で楽しい。
主人公はヘンリーという男性。彼は時間旅行ができる。ただ問題はいつタイムトラベルするかわからない。脳機能の突然変異ということで説明されていて、てんかんのような症状が起きる。そして気がつくと別の時空に存在している。
困るのは物質は移動できない。つまり『ターミネーター』のように素っ裸。だから服を調達しないと大変なことになってしまう。この事実があることで、もう一人の主人公であるクレアという女性が関係してくる。
この物語を説明するのは難しい。クレアはボクたちと同じように時系列で出来事を経験していく。だけどヘンリーは過去や未来を行ったり来たりするので、若いヘンリーや中年のヘンリーが登場する。二人同時に存在していることもある。
映画の場合なら姿で見せられるけれど、小説だとそうはいかない。だからヘンリーとクレアの語り手となる2つのパターンで物語が進み、かつ常にそのエピソードのときの日付と二人の年齢が記載されている。
クレアが初めてヘンリーにあったのは6歳。それ以来、彼女の成長に伴って様々な年齢のヘンリーが会いにきている。面白いのは物語の冒頭。20歳のクレアが28歳のヘンリーと出会う。この時点でのクレアは18歳の時にヘンリーにヴァージンをささげている。
ところがヘンリーが子供の頃のクレアと会うようになるのはそれ以降。だからクレアに会っても記憶がないから初対面と同じ。でも事情を聞かされると、ヘンリーはすぐに理解する。なぜなら幼い頃から時間旅行を繰り返していたから。
上巻はクレアの幼い頃から、やがて二人が同じ時空で出会い結婚するまでが描かれている。もちろんヘンリーは28歳から45歳までの様々なパターンで登場してくる。映画でも使われたエピソードだけれど、結婚式の場面が最高に面白い。
結婚式の最中に時間旅行してしまうことをヘンリーは心配していた。親戚たちの目の前でいきなり新郎が消えたらまずい。そこで二人の事情を知る友人たちと共に、ヘンリーを助けてくれた人物がいる。それが中年のヘンリー。
つまり結婚式とその後のパーティーでは、二人のヘンリーが出席していた。ヤバくなったときを見計らってトイレで交代した。近くで見れば若いヘンリーが老けたように見えるはず。だけど誰も気づかない。
そのときのクレアのセリフが最高。「わたし重婚しているような気分」と苦笑した。とまぁ、時間旅行の面白さが見事に描かれた作品。ただこれは遺伝性の能力なので、下巻では二人の子供に大きな影響が出てくる。
ボクがこの物語が好きなのは、タイムパラドックスが起きないということ。「未来に起きるべきことは、すでに起きている」とヘンリーは語る。つまり絶対に変えることができない。自由意志を行使しているつもりでも、決められた運命は変えられない。だからヘンリーはできる限り未来についてクレアに語ろうとしない。
それは45歳以上の年齢のヘンリーが登場しないことで想像できる。つまりそれ以降の彼の人生が存在しないということ。本当によくできた物語だと思う。さて下巻はどのように展開していくのか。映画とのちがいを感じながら、二人の物語の結末を楽しむとしよう。
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