投稿記事の真偽判定は無理
SNSが日常化するなか、デマやフェイクニュースが相変わらず荒れ狂っている。SNSの拡散機能は元ネタの発信者をぼやかすので、一次情報を確認することが難しくなっている。大勢の人に知ってもらうべきだと感じる投稿であっても、元ネタが嘘なら誹謗中傷に加担することになってしまう。
テキストデータならまだいい。文章に書かれたことをどう判断するかは自分次第。でも厄介なのは画像データ。先日の台風15号のとき、あるフェイクニュースがネットを駆け巡った。
「写真付きフェイクニュース」大量発生時代の幕開けか 静岡水害の“偽画像”問題を考える
台風15号の勢力はさほど強くなかったけれど、線状降水帯が発生することで静岡に大きな被害をもたらした。そのうえ静岡県知事や静岡市長の対応が鈍く、正確な被害状況が把握されないことで大きな問題となった。
そんななか、ある画像が拡散された。静岡の水害の写真データ。被害が出ていたのは事実なんだけれど、この写真に関してはAIで作成されたフェイク画像だった。さらに作った人物が事実を認めたものの、騙された人たちを馬鹿にするようなコメントを発したことで炎上している。
ボクもその写真を見たけれど、真偽判定は無理だと感じた。画像の専門家、あるいはその地域をよく知っている人でないと見抜けないだろう。だから一般の人たちはその写真を事実だと認識して、自治体が対処することを求めて拡散してしまった。
これはマジで厄介な問題。おそらくこれから同様のことが起きるだろう。内容によっては冗談で済まないこともある。だけど意図的に作られた画像の場合、一時情報に接しても事実かどうか確認できない。もし事実なら、一人でも多くの人に拡散するべきこともある。それによって人命が救われたこともあるから。
だったらどうすればいいんだろう? SNSの拡散機能は現在社会に欠かせないものだと思う。ただそのメリットに比べて、デマ等のデメリットは倫理的な面で不快指数が爆上げになる。もしデマに加担したことがわかったら、自分に対して許せない気持ちになってしまいそう。
だったらSNSから遠ざかればいい。それが簡単な方法なのはわかる。でも、その答えもどこか違うような気がする。具体的な方法はわからないけれど、フェイクニュースという障害に対して、避けるのではなく対処できるスキルを人類は確立するべきだと思う。文化の後退を容認するのは納得できない。
拡散機能はこうしたフェイクニュース以外にも問題がある。可愛い動物の動画なら、どれだけ拡散してもいいやと思う人は多いだろう。でもあれだって実は問題視されていることがある。他人が配信した動画を無断で集めることで、それを配信しているアカウントがいくつもある。
そうすることでアクセス数を稼いで収入を得ている。ボクは動物の動画が好きだけれど、拡散するときはパクり動画でないことを確認するようにしている。著作権を無視するような連中に加担したくないから。とにかくネット時代は面倒なことが多い。だけどいまは過渡期だと思って、前に進むべきだと思うなぁ。
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