『鎌倉殿の13人』その後の世界
今日は久しぶりの雨。だけど冷たい冬の雨ではなく、昨日までの春の空気を残したままの温かい雨だった。そんな陽気のせいか、早くも近所の梅が満開を迎えていた。
桜は大好きだけれど、ボクは梅も大好き。先日は今年初めてメジロも見た。少しずつだけれど春が近づいている。明日からの寒の戻りも、春を楽しむために必要な寒さかもしれないね。
さて今年の大河ドラマは『どうする家康』という不思議で楽しいドラマ。これまでの大河と雰囲気は違うけれど、ボクはかなり気に入っている。昨年の『鎌倉殿の13人』が大人気だっただけに、比較されてしまうのは仕方ない。でもボクはいい雰囲気のドラマに仕上がっていると思う。
そんな昨年の大河ドラマをきっかけにして、ある古典を読み続けている。ついにドラマのその後の世界までやってきた。
2023年 読書#17
『現代語訳 吾妻鏡9 執権政治』五味文彦・本郷和人・西田友広 編という作品。説明するまでもなく鎌倉幕府が残した記録書。幕府よりに偏った内容ながら、当時の人たちの様子がわかって本当に面白い。
今回は貞応元年(1222年)〜寛喜二年(1230年)までの記録が収録されている。今回の大きな事件はドラマの最終回となった1224年の北条義時の死去。ドラマでも語られていたように毒殺の疑いが強い。そしてその犯人と目されているのが、義時の後妻となったのえこと伊賀の方。
吾妻鏡では毒殺に触れていないが、それらしきことは京都での捕物事件で匂わしている。とりあえずは脚気を患った末の病死だと記されていた。その後に起きた伊賀氏の変によって、ドラマで菊地凛子さんが演じたのえだけでなく、彼女の父親や兄妹が流罪となっている。のえが産んだ北条政村は罪を問われず、のちには執権となっているけれど。のえは伊豆に流されたのちに亡くなったとのこと。
この伊賀氏の変によって、義時の嫡男だった北条泰時の権力が盤石となる。泰時を支えているのが叔父の北条時房だったり、三浦義村というドラマでお馴染みの武将たち。ただ義時が亡くなってから翌年の1225年に北条政子が病没。さらに後を追うかのように大江広元もすぐに他界した。
ということでついにドラマのその後の世界に入ってきた。次は御成敗式目が登場するので、いよいよ泰時が絶世期を迎える時代。ただこの吾妻鏡でも記されていたが、彼は息子や娘を続けて失っている。そんな辛い時期を経験しつつも、承久の乱によって成し遂げた武家政権の確立に全力を注いでいたのだろう。
それと気になったのが、この時代の鎌倉の地震の多さ。月に何度も地震があったと記録されていて、時にはかなりの被害が出ている。日本が地震国であるのはわかっているけれど、当時の人たちは自然の脅威にひたすら耐えるしかなかったのだろうなぁ。まぁ、それは今も同じかもしれないけれど。
とにかく乗りかかった船なので、最後まで読み通してみようと思っている。
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