最後に交わした言葉を覚えてる?
この物質世界で絶対的に存在する2つのものがある。それは「最初」と「最後」。
人間や植物、惑星や銀河を含めて、物質世界に存在するすべてのものには「最初」と「最後」が必ずある。
生まれて「最初」の呼吸、死ぬ時の「最後」の呼吸。
「最初」に歩いた時、「最後」の歩行。
親に抱かれた「最初」と「最後」。
こんな風に「最初」と「最後」について思いを馳せていると、就寝前の布団でボクはあることを考えていた。生まれてから現在まで、両親等の家族を含めて数えきれない人と出会っている。その多くは街ですれ違うだけや、テレビの向こうで見ている人たち。でも一定数の人とは親しく言葉を交わし、互いの存在を意識していた。
幼い時を思い出すと、両親や兄妹以外では保育園の保母さんや、常に一緒にいた友人がいた。その頃には初恋の女性であるマッカちゃんもいた。小学校、中学校、高校、大学、そして社会人になっていくつか経験した職場でも多くの人と関わってきた。
ボクは環境が変わると、人間関係を断つことが多い。だから同窓会はあまり好きじゃないし、以前の職場の人たちと親しく交流するようなこともない。おそらく思い出した人たちのほとんどは、この先の人生で会うことはないだろう。
その時ふと思った。故人も含めて、おそらく二度と会うことがない人たちと『最後に交わした言葉』って何だったろうということ。そのほとんどは覚えていない。卒業式や会社の送別会で、「ほんならまた」と言ったくらいかな。
覚えているはずの人でも、記憶をたどるとかなり曖昧。ボクが7歳の頃に生き別れとなった母との「最後」の言葉は覚えていない。友人に会うということで京阪三条の駅で母は父が運転する車から降りた。ボクと妹は、その後は父と「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地に行った。
夕方には母と会えると思っていたので、おそらく「バイバイ」と言ったくらいだろう。母はその言葉にどう答えたのだろう? 亡くなった父との「最後」の会話も記憶がはっきりしない。電話で話したのが「最後」だったかも。
こうして記憶を引っ張り出していると、人生で関わってきた人との「最後」の言葉はほとんど覚えていない。それは「最後」を意識していないからだろう。その瞬間が「最後」だったと思わないから、記憶に残っていないのだと思う。
だから今のボクは、人間関係においてできる限り「最後」を意識したやり取りをしている。仕事関係でメールをやり取りする人でも、それが「最後」になるかもしれない。そう思って文字を入力している。実際にそういう悲しいことが数年前にあったから。
ましてや家族なら「最後」の言葉を覚えていないなんて悲しすぎる。高齢猫のミューナは病気のせいもあって、最近は体調が不安定。彼と交わす言葉がいつ「最後」になるかわからない。そういうボクだって、買い物に出かけて交通事故に遭うかもしれない。
それゆえ一人で外出するときは、「行ってきます」という何気ない言葉の奥深くでミューナや妻に「大好き」だという想いを発している。シチュエーション的にわざわざその言葉を口にすることがなくても、その「行ってきます」が「最後」になったら後悔したくないから。
例えば夫婦喧嘩をして怒りの言葉を発することができるのは、謝罪できる「次の機会」があると思い込んでいるから。だけどもしそれが「最後」だったら、どれだけ後悔しても足りない。家族や親しい友人であれば、少なくとも捨てゼリフを残してその場を離れるのはやめておくべき。絶対に後悔するから。
そして最も「最後」を意識するのは、自分がこの世を去る時だろう。すべての人や物に対して「最後」を突きつけられる瞬間。できることなら「ありがとう」という「最後」の言葉を口にできたらいいなと思っている。
ブログの更新はFacebookページとX、並びにThreadsで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。