夢体脱日記#199
今朝のブログでも書いたように、明晰夢は夢を見ている途中に夢だと気づく体験。その直後から世界を自由に再創造できるし、空を飛んだり、亡くなった人に会うこともできる。
ただ問題は夢を見ている時の人間の意識。普通に考えたら「変」だと思うことに疑問を抱かない意識状態で夢を見ている。亡くなった人と生きている時のように会話したり、過去に在籍した複数の職場が一つになっていても疑問を持たない。
それらを「変」だと思うためには多少のテクニックが必要。ボクの場合は「変なトイレ」に遭遇したり、階段を降りるときに踊り場から次の踊り場まで飛んで気づくことが多い。靴を履かずに歩いていて夢だと気づく場合もある。
どちらにしても、自分自身で「これは夢だ!」という心の声を呼び起こしている。ところが今朝、初めての明晰夢体験をした。初めてなんだけど、とてもシンプルで笑うしかない方法だった。
夢の中でボクは西国街道を歩いていた。物集女(もずめ)街道とも呼ばれている。京都の向日市から嵐山へと続く古い街道で、ボクがかつて暮らしていたところ。まだ夢だと気づかずに歩いていて、交通事故に巻き込まれた。
ボクの前方で乗用車と軽トラックが正面衝突した。その勢いで軽トラックがボクに向かって弾き飛ばされた。軽くあたっただけで済んだけれど、もう少しで大怪我をするところだった。
その事故の影響で物集女街道は大渋滞。その渋滞を右手に見ながらボクは嵐山方面へ向かって歩いていた。やがて空は漆黒の闇になり、どことなく気味が悪い。このまま行くと深い闇に入ってしまいそうで、引き返そうかと思っていた。
その時、ボクの背後から年配の女性が歩いてきた。そしてボクを追い越そうとした時、顔を近づけてボクの耳元でその女性がささやいた。
「夢、夢、これって夢よ」
あぁ、そうか夢だったんだ。そう思ったとたんに明晰夢になった。そして大笑いしてしまった。今までは自力で「夢」だと気づいていたのに、夢の登場人物に夢だと言われて気づいたのは全くの初めて。今回のように第三者に夢だと指摘されるパターンもあるんだね。
これだと楽でいいよなぁ。これからもこうして夢だと教えてもらえたら助かるんだけれど。そうして夢だと気づいてから、その洞窟のような世界を探索した。進めば進むほど異様な空気に包まれている。
途中でガイドに教えてもらったのは、人身事故を起こした人の罪悪感が作った世界とのこと。ある意味地獄と同じかもしれない。肉体に戻らないように何度も両手を見ながら探索したけれど、長時間いるとずっしりと気持ちが落ち込む気がしてその世界を離れた。
ブログの更新はFacebookページとX、並びにThreadsで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする