旧作との対比が秀逸
もうあえて理由は書かないけれど、今のボクの心は強烈な嵐に巻き込まれたように足元を見失っている。心の中で希望と諦めが激しく動く振り子のように安定しないから。過去にも経験していること。でも辛いものは辛い。ブログを書く気力が湧かないけれど、鑑賞記録だけを残しておこう。
子供の頃に大好きだった映画が『猿の惑星』シリーズ。1作目のラストシーンで主人公を演じるチャールトン・ヘストンの叫びが忘れられない。未知の惑星で猿が支配していると思っていた世界は、実は未来の地球だったというオチ。ではなぜ地球はそのようなことになったのか?
その過程を描いた作品が2011年からシリーズ化されている。その1作目は観ただけで続編は見逃していた。ということでとりあえずシリーズの3作を見るために、復習としてすでに観ている1作目を久しぶりに鑑賞した。
2024年 映画#201
『猿の惑星:創世記』(原題:Rise of the Planet of the Apes)という2011年のアメリカ映画。過去作品はメイクアップによって猿たちを演出したが、新シリーズでは当然ながらCGが使用されている。それだけに違和感がないリアルな映像で楽しむことができた。
人間のような知恵を持つ類人猿が誕生したのは、認知症の治療薬にチンパンジーが動物実験として使われたから。ジェームズ・フランコ演じるウィルはその薬の開発者。脳の神経を再構成する薬を発明して、チンパンジーの脳力が大幅に向上することを証明した。
ところが事故があり、そのメスチンパンジーが殺されてしまう。でもお腹に子供がいた。ウィルはその子供を不憫に思い、内緒で育てることにした。それがこの映画の主人公であるシーザー。
シーザーは実験を受けた母親の遺伝を受けて人間と変わらない知能を持っていた。でも認知症であるウィルの父親を守ろうとしたシーザーは、人間に怪我をさせてしまう。その結果、霊長類の保護センターに収容されることになった。
ウィルは必死になってシーザーを取り戻そうとする。ところが最終的にシーザーはその申し入れを拒否する。保護センターで飼育員から虐待を受けたことで、知恵のあるシーザーは不当な立場に置かれている類人猿たちの結束が必要だと痛感したから。
この保護センターでのシーンが、過去の1作目で収容所に閉じ込められたチャールトン・ヘストンたちの環境に瓜二つ。宇宙飛行士の主人公たち以外の人間は言葉を話すことができない。まさに人間社会における類人猿と同じ立場。この対比はあえて意図されたものだと感じた。素晴らしい演出だと思う。
やがてシーザーは仲間を連れて保護センターを脱走。さらに動物園等の類人猿を解放して人間たちに反旗をあげた。そして郊外の森に閉じこもったところで終わり。この続編を観ていないので残りの2作を鑑賞しようと思っている。
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