ペットロスを重症化させない方法
昨日ミューナの出棺に合わせて、彼が使っていた物を整理した。トイレ、爪とぎ、キャットタワー等、神戸に引っ越してから当然のようにあったものが目の前から消えた。なんて殺風景な世界なんだろう。朝起きた時の第一印象がそれ。
さらに掃除を始めると、全くやり甲斐がない。ミューナが元気な頃ならトイレの砂が飛び散っていた。だから毎日掃除しないと大変なことになる。でも今朝なんか何も落ちていない。それだけで涙が出そうになってしまう。
それがペットロスというもの。下を向くだけで涙が落ちてしまう。ミューナ以前に2匹の猫を見送ってきた。どちらのペットロスも大変で、はっきり言ってボクは重症だった。先代猫のリンちゃんを見送った後など、通勤途中の自家用車で何日も泣き通していた。
もちろんミューナに関しても強烈なペットロスを感じている。何度も泣いている。けれど、過去2匹のようにペットロスの重症化は防げると感じている。それは過去の体験から学んだから。
ペットロスをこじらせる最大の要因は『後悔』というもの。ああすればよかった、もしあの時にこうしていたら、と考えだすと負のループに囚われてしまう。別れの悲しみに『後悔』が加わることで、2度と戻せない時間の残酷さに打ちのめされてしまう。
だからミューナに関しては『後悔』の排除をずっと意識してきた。それはとてもシンプルな方法であって、『全力で接する』という言葉に尽きる。
ミューナが4年前に腎臓病を発症した時、今年と同じように覚悟を決めた。それでも彼のストレス覚悟で獣医さんに通い、妻とボクが布団をリビングに移動してミューナと24時間過ごすようにした。そうして全力で接したことで、彼はその後の4年間を元気に過ごしてくれた。
今回も体調を崩した時、ボクと妻は全力でやれることをやった。少しでも食べさせようと必死だった。でも彼の年齢とストレスを考慮して、妻と相談して医者に連れて行かないという決断もした。これも全力で考えた結果。
そして看取りを決意した時も、全力でミューナに接した。最後の10日間は以前のように布団をリビングに持ち込んで24時間をミューナと過ごした。歩けなくなっても夜中に抱き上げて水を飲ませたり、トイレに連れて行った。寝不足なんて気にする余裕もなかった。
ミューナに約束していたのは、「絶対に一人で逝かせない」ということ。だから亡くなった当日は、「待っててな」とミューナに声をかけて小走りで買い物から帰ってきた。約束を守れなかったら『後悔』するから。
そしてボクが戻ってから1時間ほどして彼は旅立った。彼が息を引き取る時にボクも妻もそばにいて、ボクの左手でミューナの頭を支え、右手で彼の両前足をしっかりと握っていた。その瞬間、ボクは泣き崩れたと同時に、約束を守れたことに安堵したのを覚えている。
今は悲しいし、切ないし、本当に寂しい。そしてちょっとしたことで泣いてしまう。けれども過去のようにペットロスが重症化している感覚はない。それは全力でやり切ったという自覚があり、『後悔』が排除されているからだと思う。
これはペットロスだけのことではない。人間の生き方にも同じことが言える。『終わり』を意識して、日々を全力で生きること。そうすれば自分が死を迎えた時に少しでも『後悔』を減らすことができ、負のスパイラルに陥ってしまうことを避けられると思う。
ミューナに実体験で教えてもらったことを、忘れないように生かしていこうと思う。
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