「悟り」の本質が分かる映画
昨日と同じく今日の神戸もそこそこいい天気だったけれど、北風が冷たくて12月らしい空気だった。週末にかけて寒波が近づいてくるので、いよいよ年末感が高まってきそう。
今日の午後にペット霊園へ連絡して、ミューナの慰霊祭と納骨の予約を済ませた。歩いて40分ほどの距離なので雨が降らなければいいなと思う。ボクもミューナも晴れ男だから、きっといい天気だろう。
さて何気なく観た映画だけれど、『悟り』の本質が描かれた素晴らしい作品だった。分かる人には分かる作品だと思う。
2024年 映画#213
『グリーン・ナイト』(原題:The Green Knight)という2021年のアメリカ映画。ボクは以前からイングランドのアーサー王伝説が大好き。そのアーサー王の甥でガウェインという人物がいる。ガウェインが主人公というだけで内容も知らずに観て驚いた!
14世紀に作者不詳で書かれた『ガウェイン卿と緑の騎士』という詩が原作となっている。その作品は読んだことがないけれど、かなり忠実に映画化されているそう。最初にも書いたように、この詩は『悟り』の本質について書かれたものだと確信している。つまり作者は悟りを得た人物だと思う。
ガウェインはアーサー王の甥であり、将来の王位を継ぐものと見られていた。ところが普段から酒を飲み歩き、街で暮らす身分の低いエセルという恋人の家で過ごしていた。そんな自覚のないガウェインなので、正式な騎士として認められていなかった。
あるクリスマスの祝いの席で、魔女に召喚された緑の騎士が姿を見せる。もちろんこの世のものではない。緑の騎士はアーサー王の家臣たちに一騎討ちの挑戦を仕掛けてきた。「ゲーム」と称される挑戦で、緑の騎士を倒した者には銀の斧が与えられる。
ただしその勝者は1年後に緑の騎士を探し、彼を倒した同じ方法で緑の騎士から一撃を受ける義務を負う。誰も挑戦を受けない。そこでガウェインが緑の騎士の前に立った。その姿を見た緑の騎士は自分の首を落とすように差し出した。
ガウェインは躊躇したが、挑戦を受けた以上引き下がれない。そこで緑の騎士の首を切り落として銀の斧を手に入れた。緑の騎士は自分の首を手にすると、1年後に待っているとガウェインに告げて去った。つまり1年後にはガウェインは緑の騎士に首を差し出せなければいけない。
ゲームとはいえ命がけ。ガウェインはそのことを分かりつつ、1年後のことを気にしながら遊び暮らしていた。そしてついに1年後がやってきた。緑の騎士を探すために旅へ出たガウェインに次々と難題が待ち構えていた。これはキリストがサタンから受けた「荒野の誘惑」と似ている。
そしてそれらの苦難を乗り越え、ガウェインはついに緑の騎士を発見した。当然ながら彼はガウェインに首を差し出すように命令する。さて、ガウェインはどうする?
ネタバレはしないけれど、なぜこれが「悟り」の物語なのか知りたい人へヒントを書いておこう。もちろんボクの勝手な解釈だけれどね。
首を切られるという行為は、『自我の喪失』を意味していると思う。「悟り」の本質とは自我が幻想であることを思い出すこと。でも自我の言いなりになれば、恐怖でそこから逃げてしまうだろう。さて、ガウェインの選択は?
映画の構成としても、そしてファンタジー作品としても素晴らしい映画だった。それは原作を忠実に再現しようと思ったからだろう。
首を差し出すのと同じほど、自我を捨てるのは恐ろしいとういこと。だから人間は輪廻を繰り返してしまう。この詩を書いた著者は、あなたにその勇気があるかを問いかけているんだと思う。
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