ミューナ不在で変わったこと
先週の金曜日がミューナの四十九日だった。ということは彼が旅立ってから7週間が過ぎたということ。早いような、遅いような言葉にできない感覚が続いている。いなくなってわかるけれど、あんな小さな生き物だったのにとてつもない大きな存在感があったということ。
とはいえ少しずつミューナのいない生活に慣れつつある。そこでやや客観的な視点で、ミューナがいなくなってから変わったことを考えてみた。心の変化は置いておいて、とりあえずは日常生活の変化に焦点を当ててみよう。
まず最初に感じたのは、毎朝の掃除が「頼りない」ということ。ミューナが使っていた猫砂は、彼が家族になった2006年の7月にコーナンでたまたま安売りをしていた商品。でもその日のうちに赤ちゃんのミューナが気持ちよくトイレをしてくれた。それで彼がこの世を旅立つまでその砂を使っていた。
ただこの砂が厄介なのは、粒が小さくで飛び散りやすいということ。檜から作った猫砂なのでいい香りはしている。それでもトイレの度に小さな砂が大量に飛び散るので、毎朝の掃除は猫砂との戦いだった。砂の撒き方があまりにすごいので、ゲゲゲの鬼太郎に登場する「砂かけババア」ならぬ「砂まきジジイ」とミューナを呼んだこともある(笑)
でもその砂が全くない。朝の掃除は楽になったけれど、「さぁ、やるぞ!」というモチベーションが小さくなってしまった。その流れでフローリングの雑巾掛けも、彼の体毛やひげが落ちていないので楽だけれど寂しい。
そんな朝の段取り的な変化では、毎朝のブラッシングがなくなった。ミューナとの貴重なふれあい時間だったので、しばらくは手持ち無沙汰で呆然としていた。今はその時間でベッドの布団を整えている。
消耗品もかなり変わった。ミューナが使うものはAmazonで買うことが多かった。キャットフード、猫砂、爪とぎ等は全てAmazon。定期的に必要となるので、ミューナの死後はAmazonでの買い物がかなり減った。
顕著に減ったのはガムテープ。以前は常に予備を用意していた。ミューナの体毛があちこちに付着するので、服や布団に張り付いた体毛をガムテープで取っていたから。だけど一気にガムテープの消費が減ったことで、予備のガムテープが寂しげに置いたままになっている。
もう一つ消費が減ったのはティッシュペーパー。猫は定期的に吐き戻しをする。「エクっ、エクっ!」というミューナの声が聞こえたら、ボクも妻もティッシュの箱を持って駆けつける。そして吐き戻した食べ物を処理するのに、かなり多くのティッシュを使った。これがなくなったので、以前に比べたらティッシュの消費量は減っているはず。
もちろんミューナの医療費もいきなりゼロになった。腎臓病の薬代は3ヶ月分で1万5千円ほどだった。もしミューナが生きていたら、今月の末には新しい薬をもらいに行っていたはず。さらにミューナの通院に使っていたタクシー代も無くなるので、タクシーの配車アプリを使う機会がグッと減るだろう。
たかだか7週間でもこれだけの変化がある。おそらくミューナの一周忌を迎えるまでにはさらに気づくことがあるだろう。今はそれらを変化として感じているけれど、いずれそれが普通になってしまう。寂しいけれど、その繰り返しが人生なんだろうね。
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