復讐と贖罪の天秤が傾く時
今日の買い物は服の選択を誤った。少し雲が多くて肌寒く感じた。それでいつもの上着で家を出た。ところが外出して一気に気温が上昇。神戸の最高気温は17度を超えた。
その結果、帰りの上り坂は額から汗が流れるほど汗だくになった。神戸に引っ越して17年目に入ったけれど、まだ神戸の坂道を舐めていたかも。家を出た時に少し寒いくらいが、結果としてちょうどいい。春めいてきたから、ぼちぼち着るものに気をつけなければ。
さて、ボクのように還暦を過ぎると少し恐れていることがある。それは人生の終盤に強い「後悔」を抱え込むこと。特に意識しているのが人の命に関わること。ここ数年で話題になっている高齢者の自動車暴走。
アクセルとブレーキの踏み間違いや認知能力の衰えによって、高齢者の悲惨な事故が起きている。どれだけ図太い神経の人でも、人の命を奪ってしまえば強烈な「後悔」を抱えてしまう。そして残りの人生を考えると、その後悔を和らげる贖罪の時間を取ることが難しくなる。
つまり後悔と罪悪感を抱えたままあの世に行くことになる。最悪の場合、その心の負荷によって再び輪廻の渦に巻き込まれてしまう。そんなこともあるから、ボクは10年以上前に自家用車を手放して良かったと思っている。どれだけ注意しても過失は避けられないから。だからリスクを減らすことは決して無駄ではない。
ボクの年齢になると実感するのは、贖罪の機会がどれだけ大切かということ。ミューナの最後を献身的に看取ることができた、さらにペットロスを重症化させなかった原動力は「贖罪」の思いがあったから。
ボクが過去に接してきた動物たちに対する贖罪の思い。その全てをミューナに注いできたことで、少しでも心の重荷を手放すことができたと思っている。
ある映画を観て、主人公が抱いている贖罪の思いが崩壊していく姿に胸が痛くなった。
2025年 映画#41
『カード・カウンター』(原題:The Card Counter)という2021年のアメリカ映画。
主人公のウィリアムはイラク戦争で悪名高い「アブグレイヴ刑務所」で特殊任務についていた。これは実話としても有名で、イラク軍の捕虜に対してアメリカ兵士が国際法に違反する拷問を行ったことで知られている。
ウィリアムは上官の命令とはいえ、その拷問に手を貸した。結果として軍事刑務所で8年以上も暮らすことになった。ところが写真に映っていた兵士だけが処分され、この作成を指導した人物や上官は罪を免れている。ウィリアムは自分の罪に対する贖罪と、罪を犯させた上官に対する復讐の思いが天秤にかけられていた。
刑務所暮らしに馴染んだウィリアム、刑務所でカード・カウンターの技術を身につけた。頭が良くないとできない技。残りカードを記憶することで、ブラックジャックやポーカーで勝利するというスキル。
出所後は「カード・カウンター」としてカジノで稼いで生活をしていた。けれどイラクでの作戦を命令した人物に対する復讐心も忘れていない。罪に問われることなく講演しているその人物の姿をウィリアムは見届けた。彼はその会場でカークという青年に出会う。
カークの父はウィリアムと同じ状況で自殺している。それゆえカークは「父の復讐をしたいから手伝って欲しい」とウィリアムに接触してきた。ウィリアムはその申し入れを受け入れるフリをしながら、カークがまともな人生を送れるように努力する。
カードで稼いだ金をカークに渡し、奨学金の借金を返して大学に戻るように言った。そして母の元へ戻り復讐を忘れて暮らすように「命令」した。この「命令」となったのは、カークの復讐心が消えていないのをわかっていたから。
その提案を受け入れたカーク。ところがやがてニュースが入る。ウィリアムとカークの父の上官の家に侵入した若者が撃ち殺された。その若者とはカークだった。カークを助けることで、刑務所での自分の罪を償おうとしていたウイリアム。それでどうにか復讐心を相殺していた。
ところがカークが殺されたことで、ウィリアムの復讐と贖罪の天秤が一気に傾いた。武器を手にしたウィリアムは元上官の家へ行って殺してしまうという結末。ウィリアムの復讐心は満たされたが、おそらく贖罪の思いは置き去りにされたままだろう。少し陰気な映画だけれど、贖罪の難しさを痛感させられた作品だった。
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