人生を気持ちよく終わりたい
今年に引っ越しすることは決めているけれど、引っ越し先はまだ未定。それでも新生活で必要ないと思う家具等について、昨日は処分のための手続きを進めた。できることはやっておきたいから。
なぜそこまでやるかといえば、心残りなく気持ちよく引っ越したいから。16年以上も過ごした家なので、いい加減な状態で去りたくない。清掃や事務手続きを含めて、「気持ちよく」引っ越しを済ませたい。要するに「立つ鳥跡を濁さず」ということ。
ボクはこの「気持ちよく」を人生においても成し遂げたいと切望している。自分の人生の総括は、終わった瞬間に精算される。でもどれだけ後悔のない人生を送っても、最後の瞬間に心残りがあるだけで雰囲気は違ってくる。ハッピーエンドの映画が心地いいように、人生の終わりの瞬間を「気持ちよく」迎えたい。
そのための最高のシチュエーションは、自分の死期を自ら決めること。そんな理想的な最後を迎えた人の記事を見つけた。
90歳のノーベル賞受賞者が医師の助けで自ら命を絶ったことが判明、「私は10代の頃から人生最後の数年間の悲惨さと屈辱は無用だと信じてきました」とメールに残す
その人物とは、ノーベル賞を受賞した心理学者・行動経済学者のダニエル・カーネマン氏。昨年の3月に亡くなったけれど、死因は明らかにされていなかった。でも今年になって分かったのは、彼はスイスの自殺ほう助施設で安楽死したそう。
90歳になられて腎臓病を患い、認知症的な症状も増えてきた。それで最後を元気なうちに終われるよう、あえてスイスでの安楽死を選択したとのこと。そのカーネマン氏の生前の言葉がリンク先の記事で紹介されている。それは友人たちに送ったメールだった。
「これは友人たちに送る別れの手紙です。3月27日に私の人生が終わります」
「私は10代の頃から、人生最後の数年間の悲惨さと屈辱は無用だと信じており、その信念に基づいて行動しています」
「私はまだ元気で、人生の多くのことを楽しんでいます。しかし、腎臓は限界にきており、精神障害の頻度も増えています。そろそろ潮時です」
「私は自分の選択を恥じてはいませんが、それを公言することにも興味がありません。残された家族は詳細な死因を可能な限り公開しませんので、あなたも数日間はこの話を避けてください」
「決断してわかったのは、私は存在しなくなることを恐れていないということ、そして死とは眠りについて目覚めないことだと考えているということです。最後の期間は、他人に与えた苦痛を目の当たりにしたことを除けば、つらくはありませんでした。ですから、もしあなたが私のことを気の毒に思っていたとしても、そんなことはないんです」
「私の人生を良いものにしてくれてありがとう」
この文面を見ている限り、カーネマン氏が「気持ちよく」人生を終えようとしていたのがわかる。そしてその想いにボクは心から共感している。彼は生前から「ピークエンドの法則」というものを提唱していたそう。
「ある経験をつらいと感じるか、楽しいと感じるかは、感情のピーク時と最後の瞬間により決まる」
この「ピークエンドの法則」とボクの人生観は完全に合致している。辛い体験も、楽しい出来事も、時間が継続している限り一過性のものでしかない。けれど最後の瞬間に『何』を感じているかによって、その出来事の総括は異なってくると思う。
安楽死の合法化に関する問題点は、最近読んだ書籍で学んだ。だから安易に合法化するべきだとは思わない。それでも自分の最期を自ら決めることができたら、可能な限り「気持ちよく」この世を去ることができると思う。
その理想に近づけるように残りの人生を過ごしたい。まず大切なことは、「今日」という時間を大切にして、できる限り心残りを増やさないことだと思う。
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