人間が肉体の再生能力を捨てた理由
今の時期に散歩をしていると、草むらでキラッと光る美しいトカゲの姿を見かけることがある。鳥に見つかったら食べられてしまうので、「道路に出てきたらあかんよ〜」と声をかけている。そういえば先日は道路を歩いているカタツムリを救出した。
そんなトカゲの能力でよく知られているのは、尻尾がきれてもまた再生するというもの。実は爬虫類や両生類にはこうした能力を持っているものが多く、サンショウウオなどは足や心臓まで再生できるらしい。ところが哺乳類になると、この能力が存在しない。その理由について書かれた記事が面白かった。
サンショウウオのように足や心臓が再生するならば、これほど便利なことはない。ところが進化するに従って、そうした能力を失っていく。リンク先の記事に書かれているけれど、人間を含む哺乳類にも再生能力を有する遺伝子が存在しているらしい。ところが進化に伴ってその能力をオフにしている。その理由がとても興味深かった。記事から抜粋してみよう。
【仮説1】がんの抑制とのトレードオフ仮説
【仮説2】免疫系の進化的衝突仮説
【仮説3】恒常性・組織安定性の優先仮説
【仮説4】ライフサイクルと環境適応の違い
この4つの仮説に納得。詳しいことを知りたい人はリンク先の記事に書かれているので参照を。肉体の再生は便利なようで、実はリスクが高い。細胞分裂を繰り返すことでガン化するリスクが高くなる。再生には時間がかかるので、傷跡から感染症となる可能性も高い。そこで免疫システムを使うことで、傷を塞ぐことに特化するようになった。
腕が切られて再生するとしても、時間がかかれば動物や敵に襲われるかもしれない。捕食者から身を守るためにも、再生能力を捨てて別の機能を進化させたというのが仮説の中心となっている。
ここまでは科学的な見地。それに加えて、ボクは精神的な観点からもそうなった理由があると思っている。最初の哺乳類から人類へと進化する過程で、あえて再生能力を排除するなんらかの『意図』があったような気がする。
その『意図』とは、「失ったものは戻らない」ことを体験するため。
腕を切られても再生するなら、人間は腕を大切にしなくなる。失ったものは戻らないと思うからこそ、それを守ろうとする。その心理が行き着く先は「命は一度切り」だという想い。
「失ったものは戻らない」からこそ、そこからいくつものドラマが生まれる。魂は不変であっても、あえて「人生は一度キリ」と思い込むことでこの世界でしか体験できない学びを得ることができる。
<人類のDNAは再生能力を持っているのに、あえてそれをオフにして『何か』を経験しようとしている>
<人類の魂は永遠なのに、あえてそのことを忘れて『何か』を経験しようとしている>
この二つが意味していることは、根本的に同じものだと直感している。人間の肉体が再生能力を封印したのは、魂の目的に合致しているからだろう。知らんけど(笑)
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