フランスでも「安楽死」が始まった
ここ数年で頻繁にボクの頭によぎるのが「安楽死」に関すること。年齢的に「死」に向き合う時期になってきたことで、自分の理想的な「死に方」を考えることが増えたから。「死に方」というのはネガティブな意味ではなく、残りの人生を有意義に生きるための指針だと考えている。
理想的な死に方は、時期を決めて身辺を整理したのちに安楽死すること。でもこれは理想であって、現実的には難しい。でもその理想の背景にあるのは、「死ぬ権利」を守りたいというもの。だから治癒見込みのない病気になった時、自らの意思で「死ぬ権利」を行使したいと願っている。
でも日本の法律では、いかなる事情であっても「安楽死」は認められていない。もし医師が患者の「死の権利」を代行すれば、日本の法律では医師が殺人罪で起訴されてしまう。でも世界の流れは変わりつつある。
ヨーロッパでは「安楽死」が法制化されつつある。その流れを象徴するかのように、フランスで「安楽死」法案が可決された。
先月の27日フランスで、明確に定義された状況で患者が医療支援を受けて「死を迎える権利」を認める法案を第一読会で賛成多数で可決された。法案の成立までにはまだいくつかの段階があるそうだけれど、とりあえず第一歩を踏み出したことになる。
もちろん条件としては治癒不可能な病気や肉体的・精神的に耐え難い苦痛を抱えた人々に限定される。あくまでも「自殺幇助」ではなく、「終末ケア」や「死の援助」に焦点を当てたものだとのこと。
ヨーロッパではすでにドイツ、スペイン、オーストリア、スイス等で同様の法案が成立している。だから条件に合致する人は、自分の意思で「死」を選択することが可能になっている。
この「安楽死」という概念に問題が多い。興味を持っていくつかの書籍を読んだことで、「安楽死」に反対する人の主張は理解している。でもその理解と同じくらい、いやそれ以上に耐え難い苦痛に苛まれている人に「死」という選択肢が与えられるべき必要性を感じている。
「安楽死」の法制化は、社会的弱者の強制的排除を促す危険性があるのは事実。実際に法制化された国でそうした問題が発生している。そんな「生きたい」人を死に追いやるという不備のある法案では、真の意味で「死の権利」が守られていないと思う。それだけに完璧な法制化には困難が伴う。
でも世界的な流れとしては、「安楽死」の法制化が進むと思われる。日本でもいい意味で議論されることを望んでいる。日本で耐え難い苦痛を抱えている人が、その苦しみから解放されるために海外へ行かなければいけないのは辛い。行きたくても航空機に乗れない病状の人もある。
そんな人たちが「死の権利」を行使できる法律が、日本でも施行されたらいいなと本気で願っている。
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