この世は2種類の人間のみ
なぜだろう? 自分でもよくわからないけれど、急にブログの文体を変えたくなった。
昨晩、愛猫のミューナを抱いたまま体外離脱と明晰夢の体験をしたからかな。それとも今朝の掃除中、うっかりと持病の腰を痛めてしまったからだろうか?
いや、もっとも答えに近い理由は、昨日に読み終わった本のせいかもしれないな。それほど衝撃的で、人生観を180度変えてしまう内容だったから。
『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル著。
有名な本なので、ご存知の方も多いはず。ボクも以前から気になっていたけれど、気が重くなりそうで手が出なかった。なぜならこの本は、ユダヤ人である著者がナチスの収容所での経験を書いたものだから。
でも読み始めてすぐ、自分の先入観の愚かさを痛感した。気が重くなるどころか、全身に巣食っていた心の垢のようなものがぶっ飛んでしまった!
読み進めていくと、戦争の恐ろしさと、人間が持つ本質的な悪魔性を見せつけられる。もちろんそれは活字から想像したイメージに過ぎない。被収容者が体験したことの本質とは、大きくかけ離れたものだと思う。でもそんな本質の一部であっても、耐えがたいとしか言えない状況だった。
だったらなぜ、重苦しいだけの本ではなかったのか? それは著者が精神医学の医師として、フロイトやアドラーから心理学を学んでいたため。だから収容所における人間に心について、徹底的に深く掘り下げられている。
だから最後まで読めば、人間が持つ崇高な精神を、著者によって提示されることになる。どれだけ悲惨な状況に置かれても、人間は他者が奪い取ることのできない貴重な『何か』を持っている。著者はそのことを伝えたくて、この本を書いたのだと感じた。
『夜と霧』というタイトルは、最初に邦訳されたときにつけられたもの。原書のタイトルを直訳すると『心理学者、強制収容所を体験する』というものになるらしい。なるほど、まさにそのとおりの内容だった。
ナチスの収容所を経験したことで、著者が断定的に述べている言葉がある。今もその文章が頭から離れない。
『この世にはふたつの人間の種族がいる。いや、ふたつの種族しかいない。まともな人間とまともでない人間と、いうことを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない』
社会の本質を言い当てた言葉だと思う。人間社会というものは『闇なべ』のようなものかもしれない。食べて栄養になるものもあれば、口にすることで命を落とすものもある。そんな例として、あるナチス親衛隊について書かれていた。
収容所から解放されて連合軍に保護されたとき、当然ながらナチス親衛隊は戦争犯罪人として裁判を受けることになる。ところが著者を含めた収容者たちが必死になって、除名を嘆願した親衛隊員の収容所長がいた。
その人物は自腹を切って薬を購入して、病気の収容者に内緒で与えていた。その恩を感じた収容者たちは、アメリカ軍の指揮官に対してその人物の善処を訴えた。そしてその願いはかなえられている。
命令に逆らえないナチスの収容所長という立場でも、人間の心を失うことがなかった人物がいたのだ。まともでない人間たちのなかにも、まともな人がいるということに感銘を受けた。
もう一つ心に残っていること。それは極端な試練を受けたとき、人間を支えるのは『希望』だったということ。著者はここでの体験を出版することを『希望』にして、最後まで生き延びることができた。
ただし、その『希望』は人間にとって両刃の剣になりうる。ある人物は、特定の時期に自分が解放される夢を見たという。リアルな夢だったから、それは正夢だと信じたらしい。それがその人の『希望』だった。
収容所にいる人たちにとって、もっとも辛いのはいつまでこの地獄が続くのかわからないことである、と著者は明言している。それはそうだろう。ボクたちは戦争がいつ集結するか、歴史的に知っている。けれどもその時代に生きている人は、もしかしたらナチスが勝利するという可能性のなかに生きていたのだから。
その人物は解放時期という『希望』に固執したことによって、自分を追い詰めることになってしまった。ところが夢の時期が近づいても解放されそうにないことを知り、チフスを発症して亡くなってしまう。亡くなったのは、なんとその人物が解放されると予言していた時期と一致していた。解放という意味において、それは正夢だったという悲しい話。
著者によると、その人物は『希望』が叶えられそうにないと感じたことで、絶望が肉体の免疫機能を低下させたのだろうと推測している。それでチフスを発症してしまったのだろうと。その人の思いを想像すると、やりきれない気持ちになってしまう。
著者が生き延びたのは、いくつもの偶然が重なっている。最後の最後まで、彼は運命に翻弄されていた。ドイツの敗戦が濃厚になったころ、患者と医師は安全な場所に避難することになった。ところが医長のミスで、医師として働いていた著者はその名簿に載せられなかった。著者は絶望に打ちひしがれていた。
そして収容所は戦争の前線になり、著者は戦闘に巻き込まれてしまうことになる。なんとかそこから生き延びて、ようやく連合国に保護される。
ところがのちにわかったところによると、先に脱出した患者や医師たちは全滅していた。医長のミスがなければ、著者はこの本を書くことがなかった。
この本は、ボクの人生にとって大きな影響を与えることになった。それほど素晴らしい内容だった。著者の両親や妻、そして子供たちは、すべて収容所内で殺されている。生還したのは彼だけ。でも彼が生きていてくれたことで、この本が世に残されている。
そのことに感謝せずにはいられない。もし読まれたことがない方は、ぜひ手に取るべき本だと思う。
ふ〜、慣れない文体は疲れる〜〜! さて明日からのブログの文体は、どうしようかなwww
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
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