途中でやめるほうが辛い
発達した低気圧は各地に影響をもたらしたようだけれど、それほど大きな被害は出ていないようでよかった。
神戸は昨晩から雨が降り始めて、深夜には突風が吹いていた。だけど夜明けごろには静かになり、雲は多めだけれど過ごしやすい、気持ちのいい天気になった。
だけどやっぱり桜は終わり。春の嵐が、残っていた花びらをさらってしまった。それでも春だからね。次々と花が咲いている。
名前はわからないけれど、こんな可憐で美しい花が咲いていた。花水木も満開が近いし、これからはモッコウバラも咲きそう。
植物の姿を見ていると、いつも勇気づけられる。彼らは環境さえ整えっていれば、葉をつけ花を咲かせ、そして実をつける。この前なんか、アスファルトのすきまから成長して、立派に咲いているスミレを見た。ものすごい生命力だと思う。
植物たちは途中でやめたりしないよね。環境的に無理でない限り、自分で成長するのをやめようとしない。
だけど人間って、やめる理由を見つけるのがうまい。わざわざやめることのメリットを数え上げ、デメリットは無視してしまう。
もっとひどい場合は、最初からやろうともしない。いつかやろう、条件が整えばやろう、と先送りにするのが大好き。ある意味、途中でやめるよりタチが悪いかもしれない。
でもボクは思う。やりたいことをやらない。あるいはやりかけたことを途中でやめてしまうほうが、辛くてしんどいのじゃないかな、と。
この辛さやしんどさは、長く尾をひくから大変なんだよね。人生の最後までついて回るかもしれない。
心の底からやりきった、と思ってやめるのならいいと思う。でもそうじゃなければ、やっておけばよかった、もっと続ければよかった、と振り返ってばかりいることになってしまう。そんな人生つまんない。
だから本当は、弱気な自分に鞭打ってやりたいことをやるしんどさとか、結果がすぐに出なくても続ける辛さのほうが楽なのかもしれない。そんなことを思わせる本を読んだ。
『ロケット・ボーイズ2』上下巻 ホーマー・ヒッカム・ジュニア著という本。
この小説は著者の自叙伝的な小説で、登場人物の名前を一部変更した以外は、すべて真実に基づいて書かれている。
以前のブログで『ロケット・ボーイズ』という小説を紹介したが、その続編にあたる。1950年代の後半に、アメリカのウエスト・バージニア州の高校生が、自分たちでロケット作って飛ばした。
その技術は高く、科学フェアで優勝している。そしてロケット・ボイーズたちは奨学金をもらったりして大学へ進み、著者は実際にNASAの技術者になってロケットを飛ばしている。
そしてそれを原作にした『遠い空の向こうに』という作品で映画化されていて、その感想もこのブログで書いた。とにかく事実だと思えないほど、感動的な物語になっている。
1作目はロケットを飛ばすこと、そして科学フェアで優勝することに主眼が置かれた内容だった。
だけどこの2作目は続編というより、著者の高校生の最終学年をより深く掘り下げて書かれている。年代的には1作目とカブっているけれど、ボクはこの2作目のほうがはるかに面白かった。何度涙したことか……。
著者の心のうちが、赤裸々に、そしてとても美しく描かれている。貧しい炭鉱町の人々、そしてロケット・ボイーズの仲間たちの、1作目では書かれてない私生活が詳細に記されている。
そして1作目からのテーマであった著者と父の確執も、その本当の姿が物語を通じて明かされる。著者は父を通じて、あきらめずに続けることの大切さを知る。
1950年代の貧しい炭鉱町で暮らす人たちの悲哀に胸を痛めつつ、そこからなんとかして幸せを見つけようとする人々の想いの強さに心打たれる。
実話なんだけれど、小説としても素晴らしい作品だと思う。もし読みたいと思った方は、やはり1作目から読むほうがいい。そうすれば、2作目で感動に出会える。いつまでも心に残る、素敵な物語だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
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