常識人間を捨てられるか
日本時間の今朝起きた。マンチェスターでのテロ事件にショックを受けている。どれだけ好意的な見方をしても、その行為を容認することはできない。
音楽を愛する人間として、ライブ会場で行われた今回のテロに対して強烈な怒りを覚える。アリアナ・グランデがかわいそうすぎて、本当に気の毒に思う。
ライブを終えて笑顔で会場を出ようとしている人を無差別に殺すなんて、実行犯の歪んだ精神状態を想像するだけで寒気がする。他人の幸せを破滅させることによって何を得ているのだろう? どんな大義名分があったとしても、歩み寄る気持ちは持てない
こうしたテロ行為の根底にあるのは、究極的には自分の『外』に幸せを求めているから。つまり自分が幸せでないのは、社会のせいだという発想。自分の信条に合致しない組織や国家を破壊することで、やっと自分が幸せになれると錯覚している。
いわゆる陰謀論を支持する人も、その発想はテロリストと同じ。自分ではどうしようもない陰謀が社会に巣食っているから、人生が苦しいと結論づけている。その陰謀を阻止することができれば、幸せになれると思い込んでいる。それが過剰になると、テロ行為に走る。
本当に戦うべきもの、打ち破るべきものは、そうした錯覚にとらわれる自分自身なのではないだろうか? 押し付けられた幸せの概念に支配されて、自分を抑えることに慣れてしまっている。子供のころに大人から押し付けられた常識に、がんじがらめになっている。
本当に幸せになりたいなら、生きがいを感じたいなら、そんな自分と真剣に向き合って戦うべき。他人の命を奪っても、悲しみの連鎖が続くだけ。
そんな自分に巣食っている「常識人間」を捨てられるかどうか? そのことを読者に真剣に問いかける本を読んだ。
『自分の中に毒を持て』岡本太郎 著という本。
本当の意味で自分と戦うということは、どういうことなのかを明確に示した著作。ストレートでわかりやすく、そして強烈に心へ響く。
たった一度の人生を、どうすればパワフルに生きていけるかを、岡本さんが自分の体験を交えて語っている。彼の発想には、天才だとか、才能があるだとか、個人が生まれつき持ち合わせているものは重視されていない。
『今』目の前に置かれた選択に対して、それぞれの人がどういう行動を取るかを迫っている。そこには生きるか死ぬかという、強烈な選択がある。ただ安全を求めて安楽な道を選ぶのなら、それでは生きているとは言えない、と著者は述べている。
たとえ絶望や苦難しか待ち受けていないと感じても、つまらない常識から離れることを切に訴えている。それこそが本当に『自分』を生きるということ。
この本から一部を抜粋させてもらう。
以下抜粋〜
強烈に生きることは常に死を前提にしている。死という最もきびしい運命と直面して、はじめていのちが奮い立つのだ。死はただ生理的な終焉ではなく、日常生活の中に瞬間瞬間にたちあらわれるものだ。この世の中で自分を純粋に貫こうとしたら、生きがいに掛けようとすれば、必ず絶望的な危険をともなう。
そのとき「死」が現前するのだ。惰性的にすごせば死の危機感は遠ざかる。しかし空しい。死を畏れて引っ込んでしまっては、生きがいはなくなる。今日はほとんどの人が、その純粋な生と死の問題を回避してしまっている。だから虚脱状態になっているのだ。
〜以上抜粋。
自分の殻を打ち破りたいと願っている人には、とても参考になる本。ただし厳しい。だからこそ自分独自の道を進むべきだ、と背中を押してもらえるはず。とても素敵な本だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする