11歳になっても、赤ちゃん
今日はミューナの誕生日。今年で満11歳になる。
誕生日なので記念写真。
人間で言えば、一般的な計算方法では60歳。めでたいことに還暦なので、赤い服を用意するべきだったかな?
11年前には赤ちゃんだったのに、気がついたらボクの年齢を通り越している。人間よりずっと早い時間で生きているんだね。
でも還暦だとは言え、いまだに赤ちゃん。本当に甘えっ子で、最近はボクが床に横になって、母猫がおっぱいを飲ませるような姿勢を求めてくる。それでひとしきりなでてもらって甘えてから、ようやくゴハンを食べに行く。まだ母乳をもらっている気分らしいw
ところが小さいころから、自分の信念を曲げないという性格を持っている。まるで頑固ジジイ。
生後3ヶ月のころ、野良猫だった母猫から感染したカリシウィルスが発症した。人間で言えば強烈なインフルエンザのようなもので、高熱が出て死に至る場合が多い。まだ小さいのに焼け付くような体温になり、僕も妻も一時はあきらめたほどだった。
でもかかりつけの獣医さんの適切な処置で、一命をとりとめた。3日間獣医さんに通い、投薬と点滴。最後の日に落ち着いたとき、口に何かを入れたほうがいいということで、獣医さんがとても美味しそうな缶詰を提供してくれた。
看護師さんが優しくミューナの口元にご馳走を持ってきたのに、まったく口を開かない。なんとかして口に入れようとしてくださるが、頑として口を真一文字に結んで開かない。
さらに膀胱に溜まったオシッコを心配した獣医さんが、出してあげようとして腹部を押した。普通の猫はそれでオシッコをするらしい。ところがミューナは必死で踏ん張って排尿する気配がない。何度かトライした獣医さんも、苦笑してあきらめた。
ところが京都の自宅マンションに戻ったとたん、自分のトイレに駆け込んで気持ちよさそうにオシッコ。さらに美味しそうに自宅のキャットフードを食べてくれた。何がなんでも自分の家以外では、ゴハンを食べないし、オシッコもしないという頑固者。
だからボクも妻も、長期の旅行に行けない。2〜3泊くらいなら大丈夫だけれど、それ以上になるとゴハンやトイレの世話が必要になる。ペットシッターという便利な方法があるけれど、ミューナは絶対無理だろう。他人が触ったキャットフードは食べないだろうし、トイレだって入らない可能性がある。
それほどの頑固ジジイなんだよね。
でもそれでいいと思っている。母猫からはぐれて保健所で処分されそうになったとき、助けようと抱き上げた瞬間に責任が発生している。それがペットを暮らすということ。その子が幸せな一生を過ごせるよう、最大限の敬意と時間を差し出す必要がある。
何度もこのブログで書いているけれど、ミューナはボクにとって人生最後の猫になる。なぜならその責任を、新しい子猫に果たせる自信がない。最低でも20年の時間を確保しなくてはいけない。ボクしか頼れない猫を残してあの世に行くわけには行かないから、自分の年齢を考えてそう決めている。
だからこそ、日々彼と過ごす時間が愛おしい。僕の人生で最後に暮らした猫が、ミューナでよかった。心からそう思う。
年齢から考えると、今まで暮らした年数と同じ時間を過ごせる可能性は低い。おそらく折り返し地点は過ぎているだろう。来年もこうして誕生日を祝えるかどうかはわからないけれど、毎日のふれあいを大切にしていきたい。
さて、還暦のオッチャン猫は、もうすぐお昼寝から起きてくるころだろう。眠さそうな様子で廊下を歩いている姿を見ると、言葉にできない幸せを感じる。できるだけ健康で、長生きしてね。
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