親の罪は子供に関係ないと思う
スーパーというのは時節がもろに反映される空間だよね。この時期になるとクリスマスツリーが出入り口に置かれ、クリスマスケーキの予約の案内が目につく。そして早くもお餅や数の子だけでなく、正月飾りや祝い箸なんかが売られている。
日本人は節目が好きだから、クリスマスや年末年始のイベントに気合が入るのはわかる。でもボクたちが子供のころに比べて、お正月の風景も変わって来ているのじゃないだろうか?
だってほとんどのスーパーは2日くらいから営業しているし、コンビニなんて年中無休だものね。ボクが子供のころは1週間くらいは市場が閉まっていたから、おせち料理を用意するしかなかった。
そう思うとお正月の風景の変化とともに、家族のあり方も変わってきていると思う。日本に古くからある『家』という意識は、絶滅危惧種に指定していいだろうね。『家督』なんて言葉は、もはや時代劇にしか使われない死語になった。
だから親と子供というのは、血縁があるだけで生き方はちがっていい。もちろん貧困や両親の虐待等による家庭環境の劣悪さは、子供の人生に影響を与えてしまうだろう。でも親の借金を子供が相続拒否できるように、親が犯した罪について子供が責任を感じることはない。ましてや親が犯した罪によって、子供が他人から非難されされることがあってはならないと思う。
なぜそんなことを思っているかといえば、昨日読んだ小説について考えていたから。
『境遇』湊かなえ 著という本。
時間がある限り湊さんの著作を追いかけている。この小説は二人の女性の一人称で物語が進行する。陽子と晴美という同じ年齢の二人で、ともに施設の出身という境遇で育つ。別の施設で育ったけれど、大学生のころに出会って親友となる。
陽子は県会議員の妻で、小さな男の子がいる。晴美は独身で地方新聞の記者をしている。陽子の夫は県外議員二期目の選挙を控えているが、違法献金を受けていたという疑いがかけられたことがある。だから今回の選挙は苦しい戦いだった。
そんな折、陽子の子供が誘拐される。犯人の要求は『隠された事実を公表すること』だった。もし警察に通報すれば、子供は確実に殺される。陽子は夫の政治献金のことだと思い、親友である晴美に相談する。
ところが犯人が求めているのは、夫のことではなかった。陽子の『境遇』を明らかにすることだった。晴美と協力して調査することで、陽子が生まれる直前に起きた殺人事件が浮上した。その加害者の男は獄中死しているが、妻は子供を産んで施設に預けている。その調査の結果、二人は陽子が加害者の娘であることを確信する。
最終的には驚くべき人物が誘拐犯だったというオチ。結果的にハッピーエンドで終わるけれど、未読の人のために犯人は内緒にしておこう。湊さんらしく、人間の心の奥底をえぐり出すような作品になっている。
ただ違和感を覚えたのは、陽子が父の犯罪を背負おうとすること。自分の父は人を不幸にしたから、自分は幸せになってはいけないと彼女は思う。同じく陽子の夫も、自分の父がやっていた違法献金の罪を背負おうとする。
ボクの性格がドライで冷たいせいなのかもしれないけれど、そんなん関係ないやん、と思ってしまう。たとえ親が殺人者だとしても、自分が真っ当に生きているんだったら、堂々と幸せになればいい。なぜ父の罪のために、自分が不幸にならなくてはいけないのだろう?
世間の目もそういう雰囲気になるけれど、今の時代でもそうだろうか? 少なくともボクは凶悪犯罪者の子供だからといって、その人を親と同等に考えたことがない。親や親、子供は子供だろう。関係ないと思うんだよね。
どうしてもその部分に感情移入ができなくて、陽子と晴美の行動に違和感を覚えてしまった。ただしうまく構成されている物語だから、おぉそう来たか、という感動は十分に味わうことができた。ドラマ化ありきで書かれた小説らしく、2011年にドラマ化されている。
ちなみに今日から読むのも湊さんの小説。次の作品はどんなドラマが起きるのか、今から楽しみにしている。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
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