50代を半分過ごして思うこと
この時期に観たい映画を公開されても困るよなぁ。まぁ映画会社はボクが何を観たいか知らないし、そもそもそんなこと考えもしないだろうけれどねw
『ミッション・インポッシブル』の最新作が公開中なんだけれど、あまりの暑さに行く気力が出てこない。ボクが住む神戸六甲には映画館がない。だから電車で10分ほどかけて三宮に出るしかない。だけどその10分が辛い。
買い物をして帰ってくるだけでヘトヘトの暑さなのに、そのついでに映画館に行くのは無理。かといって自宅にいる日にわざわざ汗をかいて20分ほど歩き、電車に乗る勇気がない。その移動に関わる時間の損失と暑さによる疲労、さらに仕事の停滞を考えると、どうしても躊躇してしまう。
だから今日も買い物だけで帰ってきた。せめて昼ごはんでスタミナをつけようと、以前から気になっていた中華料理店に妻と行った。ボクがチョイスしたメニューはこれ。
まぁ正直に言って、味は並以下かな。口にしたときは美味しく感じるけれど、食後に化学調味料の味が根強く残る。ボクは化学調味料をいっさい使わないので、舌が敏感になっている。コスパを考えると、これなら『餃子の王将』のほうがベターだと思う。もう二度とこの店に行かないだろう。
50代もなかばになってくると、人生の終盤をそれなりに意識している。残りの人生で食事をできる回数は確実に減っている。まぁそれは赤ちゃんでも同じだけれどね。でもこの歳になると、より切実に感じる。だからこういう店で失敗したと思いたくない。
つまり新しい店を探して冒険をすることが減ってくる。確実で安心できる店で外食しようと思ってしまう。おそらく若い人には理解できない感覚だろうね。
そうしてなんとなく考えていると、身体に関することでいうと、50代を半分過ごして以前とちがうと感じることが増えた。列挙してみよう。
・疲れやすくなった。
・持病が再発しやすい。(例:ぎっくり腰)
・体力の回復が遅くなった。
・映画を見る楽しみより、疲れることを防ぐようになる。
・近眼、老眼ともに進化中。
・人ごみが若いころよりさらに苦手になった。
今思いつくままに書いたけれど、もっと出てくるだろう。なんか嫌だねぇ。自分がポンコツになってきたのがよくわかるwww
だけど若いころと変わっていない肉体的な特徴もある。
・少々の発熱でも食欲が落ちない。
・胃腸が丈夫で、胃もたれなんてほとんどない。
・なんでも知りたがる好奇心に、身体は対応しようという意思がある。(実態は別にしてね)
・基本的に健脚。真夏じゃなければ、1日で1万歩くらいは平気で歩く。
・嗅覚に関しては、妻に『犬並み』と言われる。
まぁ、ざっと思いついたところでこれくらい出てきた。まだあると思う。
人間というのは肉体に関して、変わらない部分を守りつつ、変わらざるを得ない部分に対応しようとするんだろうね。そのバランス感覚が、50代以降の人間には必要になると思う。
変わらない部分があるからといって、すべてがそうだと思うと苦労する。20代のころの自分の体力を標準にしてしまうと、今の自分に絶望することになる。完全じゃない自分を責め、無駄な心労を抱えて嘆くことになる。
変わらない部分を意識しながらも、大切なのは変わっていく部分を受け入れてあげることだと思う。その部分に関して、自分の標準を切り替えなければいけない。変わってしまった部分のハードルを下げてあげないと、肉体は失望を感じ続けることになってしまう。
自分の肉体に関する基準を可動的で柔軟にしておかないと、心配事が増えるばかり。老化というのは、そうして少しずつ変化を受けれていくことなんだと思う。無駄な抵抗をしないで、自分の利点を大切にしていく。その精神を大切にしていきたいと思っている。
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