誰にでもある異星人の魂
時間というのは残酷なもので、『新しい』と言われていたものほど陳腐化の度合いが著しい。特に映像の世界は、そんな傾向が顕著だと思う。
今日久しぶりにある映画を観て、そのことを痛感した。
『E.T.』という1982年のアメリカ映画。もう説明する必要のない、映画史に残る名作だよね。
この映画が公開されたのはボクが20歳のとき。当時学生時代を過ごしていた金沢の映画館で3回も観た。そして3度とも号泣した。特にこの写真のシーンが泣けるんだよね。「ここにずっといるよ」というE.T.の言葉にウルウルしてしまう。
だけど今日この映画を観ながら思ったけれど、この映画を観て泣ける人は、きっと公開当時からある程度の期間内に観た人だと思う。おそらく平成生まれの人にとっては、大人たちが口にしているほどの映画だと感じないかもしれない。
最近のSF映画は進化している。CG等の画像がすごいだけでなく、設定も緻密でツッコミ所が少ない。
だけどこの映画を客観的に観ていると、かなり無理のあるシーンが多い。あれだけ進化している星の宇宙人が裸なのも違和感があるし、ヒーリング能力なんか適当すぎるよね。そもそも自転車を空に飛ばす必然性も感じない。画像的にウケるだけだもんね。
それでも青春時代にこの映画を観たボクのような人間は、もう客観的に観ることができない。E.T.の姿はあれでこそいいのであって、宇宙服なんか着せたら興ざめしてしまう。枯れた花を蘇生させるのも、エリオットの指の傷を治すのも、とても大切なシーンに思える。
もしこの映画が若い世代にも理解されるとしたら、それはE.T.の魂のあり方だと思う。
『ここが自分の居場所ではなく、ホームに帰りたい』と切に願う彼の気持ちに関しては、共感できる人が多いように思う。現代社会は多様化が認められつつあるけれど、その反動で自分の居場所を見つけられない人が多い。
学校や職場に行っても、自分が異星人のように感じている人がいるんじゃないだろうか? 自分には本来いるべき場所があって、そこへ戻りたい。おそらくこの部分に関しては、現代人でも共感できると思う。
もっとスピリチュアル的な怪しい話をすれば、他の惑星で暮らした過去生の記憶によって、ここが自分の居場所ではないと感じる人もいると思う。ボクなんか、実はそういう感覚がずっと強かった。今でも心のどこかで感じている。
さらに怪しい話をするならば、ボクはかつて暮らしていた銀河の名前まで知っている。おそらくほとんどの人が知らない銀河番号だし、専門書でも見なければその銀河の特徴がわからないようなマイナーな銀河なんだよねwww
自分の居場所を見つけられないと思う人は、もしかしたら魂の奥底で異星人であったことを感じているのかも。だから『ホーム』へ戻ろうとするE.T.の様子を見ていると、心がザワザワするのかもしれない。ボクにとってこの映画はは、やっぱり永遠の名作だなぁ。
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