ハッピーエンドに癒された
生きるということは、その過程を味わうことなんだと思う。ずっと笑って健康で過ごせればいいけれど、なかなかそうはいかない。想像もしなかった不幸に見舞われたり、悲しみに沈むこともある。努力しても思うように結果が出なくて、心が折れそうになることだってある。
でも先人たちは素敵な言葉を残してくれている。『終わり良ければすべて良し』というもの。ハッピーエンドであれば、その過程を味わうことができるんだと思う。苦労の多い人生だったとしても、最後に笑顔になれたならいい。いろいろあったけれど、全力で生きたから満足だと思えたら最高の人生だろう。
だけど大きな問題がひとつある。
それは『終わり』がいつかわからないこと。今日は幸せだと思っても、生きている限り『終わり』じゃない。もしかしたら最悪の状況のときに、『終わり』が来るかもしれない。つまり『終わり良ければすべて良し』という言葉は、人間が望む最大限の願望が反映されたものなんだろうね。それほど人生は不確定要素に満ちているということ。
だから人間は物語を生み出した。ハッピーエンドの物語は、まさに『終わり良ければすべて良し』を疑似体験できるもの。そんな小説を読んだり映画を観ることで、自分の人生もかくあらんと感じたいからだと思う。
ボクも同じく、ハッピーエンドの物語が大好き。予定調和だと揶揄されても、最後くらいは登場人物に幸せを感じて欲しい。そんな願いがかなえられた小説を読んだ。
『新編 風と共に去りぬ レット・バトラー⑥』ドナルド・マッケイグ著という小説を読んだ。第6巻まであった『風と共に去りぬ』のスピンオフ小説の最終巻。第5巻までの感想については『真のイケメンは汚名も容認する』という記事を参照していただけたらと思う。
この第6巻からは、映画より先の物語。原作者のマーガレット・ミッチェルは続編を書かずに他界した。だけどこのままではレットとスカーレットの人生は分岐したままになってしまう。だから多くのファンが続編を望んだ。なぜなら二人のハッピーエンドを体験したかったからだろう。
結論から言えば続編を書いたドナルド・マッケイグは、とても素敵なハッピーエンドを用意してくれていた。映画のスカーレットは、レットのあいだにボニーという娘しか産んでいない。だけど原作はちがう。
最初の夫、そして二度目の夫とのあいだに長男と長女をもうけている。つまりレットとスカーレットが結婚したときは、すでに二人の連れ子がいた。自分の娘であるボニーを溺愛していたレットだけれど、この二人の子供にも多大な愛情を注いでいる。
だけどレットには敵が多かった。それゆえいつも命を狙われている。この第6巻では二人が暮らしたアトランタの豪邸も、スカーレットが育ったタラの農場も消えてしまった。レットを破滅させたい人間によって、火を放たれてしまったから。
それでも二人は互いの愛を取り戻す。そして子供たちとともに、レットとスカーレットは新しい人生を生きる。とても幸せな結末だった。悲しかったのは、ずっとレットを支えてきた娼婦のベルが、彼を狙った暴漢に殺されてしまったこと。
もうひとりの主人公だったレットの妹であるローズマリーも、二度の不幸な結婚から立ち直って幸せを手にする。なんとその相手は、最愛の妻であるメラニーを亡くして絶望していたアシュレーだった。なかなかいい雰囲気だったなぁ。
ということで長い物語が終わった。こうなると不思議なもので、もう一度最初から読みたくなる。きっと彼らに会えなくなって寂しいからだろう。レットやスカーレットだけでなく、他の登場人物も本当に素敵な人たちだった。アメリカ南部社会のファンになってしまったなぁ。
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