感動とモヤモヤが混在している
伝えたいことが多くあり過ぎると、それらの優先順位を見極めるのが難しくなる。ピシッと言いたいことを限定できるといいけれど、欲張るとかえって何も伝わらないということになってしまう。
これは小説でもそうだけれど、時間という枠に強くしばられている映画では顕著に出てくる。今日観た映画は、その部分でちょっとしくじったような印象を持ってしまった。
感動するのに、なぜかモヤモヤするという不思議な感覚だった。
『3月のライオン』後編 という2017年の日本映画。先日のこの映画の前編を観て、この作品にハマってしまった。それでさっそくに後編を観た。すでにこの映画のキャラに惚れ込んでいるので、ボクなりに感動した。
悪役的な棋士である後藤との対決は前編でフリがあったので、思ったとおり後編は主人公の桐山零との獅子王戦の決勝戦が物語のクライマックスになっている。そして映画らしく、桐山の勝利で終わる。
ただここに至るまでのエピソードが、あまりに多くてごちゃごちゃしていた。個別に見ると、それぞれがとても興味深い。世話になっていた幸田家を飛び出した天涯孤独の桐山にとって、川本3姉妹の家は彼にとって家族のような存在。将棋以外で彼のことを大切にしてくれる唯一の人たちだった。
だから中学生のひなたのいじめ問題も、女を作って家出していた3姉妹の父親が急に戻ってくるエピソードも、それらだけでドラマができそうなほど深い。そして病気で命を落とす後藤の妻や、幸田家の実の親子の確執も優れたエピソードだと思う。
でもてんこ盛りにしすぎることで、どこから食べていいのかわからない海鮮丼のようになっていた。もはや何を食べているのかわからない。そしてもっとも気になったのが桐山零が川本3姉妹の父親に食ってかかるシーン。
自分を家族同然に扱ってくれた姉妹たちを守るため、桐山零は父親をなじる。だけどそのことが原因で川本3姉妹から彼は非難されてしまう。
ちょっと待って。前編のキャラならこんな展開はないやろう、とマジで思った。
結局自分は孤独で家族もなく将棋しかない。だから強くなるしないと桐山零は自分を追い込む。そして後藤との決勝戦で苦しむことで、ようやく自分が大勢の人に支えられていたことに気づくという設定。これはこれで感動したけれど、先ほどのシーンの関係でモヤモヤが消えない。
それでネットで調べてみると、原作はまったくちがうらしい。桐山零が3姉妹を守ろうとしたのは事実で、父親に対して彼女たちに近づかないよう説得している。でもそれは彼女たちの前ではなく、父親と二人きりの状況でやっているらしい。そして3姉妹は彼を非難するどころか感謝している。
う〜ん、こうなるとモヤモヤを解消するため、やっぱり原作を読みたいよなぁ。でも最新刊を含めると15巻もあるしなぁ、悩ましいことだわwww
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