概念や価値観の大規模修繕
京都から神戸へ引っ越して12年目になる。だから引っ越し当時は新築マンションだった我が家も、ついにあることが始まった。
これが今日の我が家から見える景色。そう、マンションの大規模修繕が始まった。この足場が取れるのは今年の6月。それまでこの景色をながめるしかない。
京都でも経験しているので雰囲気はわかっている。マンションの資産価値をできるだけ下げないために欠かせないことだから、しばらく辛抱するしかない。
幸いなのは超、超、超人見知りのミューナが工事の人をさほど怖がらないこと。バルコニーに面したガラス戸の向こうは『外』だと認識しているらしい。京都にいるときも、バルコニーに入ってきた工事の男性と窓越しに遊んでもらっていたから大丈夫だろう。
建物というのは放置すれば劣化する。だからこうして定期的に修繕しなくてはいけない。そう思ってこの足場をながめているとき、あることを思った。
人間にも定期的な大規模修繕が必要だな、ということ。
それは肉体という意味ではなく、ボクたちの概念や価値観という頭のなかの大規模修繕のこと。
肉体に比べて軽視されがちだけれど、概念や価値観のアップデートは現代人にとって必要不可欠なことになった。なぜなら技術革新等のスピードが、ボクたちの子供のころに比べたらとてつもなく速くなっているから。
いまなら2年ほどボンヤリして過ごしていたら、ネットの記事を読んでもチンプンカンプンのことばかりになっているはず。数年前までは普通だったことが、今では完全に陳腐化していることは多い。
マンションなら10年に1度くらいの大規模修繕でいいけれど、現代人の頭のなかはそうもいかない。最低でも1ヶ月単位で知識のアップデートをしていかないと、時代の流れについていけないかもしれない。
マンションの大規模修繕には修繕積立金が使われる。それを人間に例えたとしたら、修繕積立金にあたるのは情報だろう。ボクはそんな感覚を持っている。
ネットをながめていて気になる記事を見つけたら、すぐにブックマークしておく。いちいち追いかけていたら仕事ができないから、とりあえずいつでも読めるようにしておく。まさに積立金のような感覚。
その情報の積立金を、どのようにすれば概念の大規模修繕に使えるのかを考えてみた。ただブックマークをした記事を読むだけでは、知識が右から左に抜けていくだけだろう。
もっとも効果的なのはアウトプットすることだと思う。気になる記事を読んだとき、内容に関する自分の意見を考える。そしてブログ等でそれを世間に公表することで、ようやくその知識が自分にとって生きたものになると思う。他人に読まれると思うと、かなり真剣に読み込んで考えるからねwww
ボクの朝のブログは、まさにそんなことの繰り返し。そうしてブログにアウトプットすると、もうひとつ便利なことがある。
記事を書いてため込んでいくと、あとで読み返すことができる。ボクの日課として、その日と同じ日付の過去記事を読んでいる。このブログなら5年前までさかのぼることができるので、5年間の自分の概念や価値観の変化をリアルに感じることができる。
たいていは恥ずかしくなることが多い。よくこんなことを平気で書いているな、と思わず以前の記事を消したくなる。でもその感覚こそが、概念の大規模修繕であり、知識のアップデートになっていると思う。
過去には正しいと思っていたことが、いまでは正反対だと感じることは多い。それほど世間の動きが速くなっている。結局、頭のなかの大規模修繕というのは、小規模修繕を根気よく継続していくことなのかもしれないね。
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする