他人の視点による人物像
人間にとって自我は2種類あると思う。一つはこれまで自分自身で体験してきた記憶によって構成されたもの。もう一つは他人の視点によって構成されたもの。
どちらの視点もバイアスがかかるので、その人物の真実を語っているとは限らない。本人が自分だと自覚している人物像と、他人の意見を総合した人物像は、もしかすると似て非なるものかもしれない。
小説の手法として、語り手が誰であるかを明確にする必要がある。一般的には一人称であろうと三人称であろうと、物語の主人公が語り手になっている場合が多い。だから読者は主人公の視点で物語の世界へ入っていく。
だけど主人公が語り手として一度も登場せず、その人物に関わる人たちの視点で描かれた小説を読んだ。その手法がとても効果的で、主人公が実在の人物のようにリアルな存在として感じられた。こんな視点での小説を書いてみたいと思わせる作品だった。
『半落ち』横山秀夫 著という小説。映画を観て感動したので、いつか原作を読もうと思いつついまになった。映画でも周囲の人の視点を意識していたと思うけれど、この点に関しては小説のほうが圧倒的に効果的だった。映画の印象がぶっ飛んでしまうほど素晴らしい原作だった。
主人公は梶総一郎という警察官。認知症だった妻に殺してくれと依頼され、首を絞めて命を奪った。いわゆる嘱託殺人というやつで、自首してきたことで事件に関するミステリー性は一切ない。
だけど問題となったのは、梶が自首したのは妻を殺してから二日後。その二日間の行動が問題となった。目撃談によると新宿の歌舞伎町にいたらしい。警察本部としては警官の犯罪だけでも問題なのに、妻を殺したあとに風俗にいっていたなんてことを報道されたら信用失墜になる。そのためにその事実を隠蔽しようとする。
この小説で謎として最後まで残されるのは、この二日間に梶は何をしていたのかということ。そのことを一切語らず、51歳の誕生日に自殺するつもりであることがわかった。それゆえ犯行は自供してもすべてを語らないので『半落ち』となる。
この空白の2日間に迫る人たちの視点で物語が構成されている。その人物構成が絶妙で、ようやく最後になって謎が解ける。その人物たちはこんなラインナップ。
・事情聴取を任された志木という県警本部捜査一課の指導官。
・この事件を担当する佐瀬という検事。
・この事件の真相を暴こうとする中尾という新聞記者。
・梶の弁護人となった植村という弁護士。
・梶の裁判を担当する藤林という裁判官。
・刑務所に収監された梶の自殺を危惧する古賀という刑務官。
この6人の視点によってこの小説は語られている。6人に共通しているのが、梶という人物に対する好印象。空白の2日間を明らかにすることで、なんとかして梶の命を守ろうとしている。そして最終的にその事実を突き止めたのが、最初に尋問した志木という警察官だった。
映画は有名だし、小説を読んだ人も多いだろう。だからネタバレしてもいいんだけれど、この小説に興味を持った人のために内緒にしておこう。最初にしか味わえない感動を体験したい人は、ぜひともこの作品を読んで欲しい。そして映画を見ると、より感動が増すだろうと思う。
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