科学を物語に落とし込む手本
アウトプットに比するインプットは100倍になる、とある作家が述べておられた。1冊の本を仕上げるためには、100冊の本を読まなければいけないということ。誇張されているように感じるかもしれないけれど、ボクはこの数字でも少ないような気がしている。
そしてただ読めばいい、というものじゃない。インプットで得たものを、どのようにして物語に落とし込んでいくか。ここがまた大変。特に科学的な情報の場合に苦労する。なぜなら小説というのは科学事実を説明するものでなく、人間を描くものだから。
かなり専門的な科学情報を、情緒的な美しい文章に落とし込まれた小説を読んだ。
2021年 読書#40
『八月の銀の雪』伊予原 新 著という小説、直木賞候補となったことで出会った作品。著者は大阪の出身で、神戸大学の理学部を卒業されている。マンションの玄関から見える大学だけに親しみを感じてしまう。さらに東京大学の大学院で地球惑星科学を専攻されて博士号を取られている。
つまりインプットの基本量が最初から一般人とはかけ離れている。それなのに巻末に記されている参考文献の数を見てビックリ。英語で書かれた資料まで含めると、先ほどの100倍インプット説の信憑性が、疑いのないものとしてモロに突きつけられる。
この作品は短編集となっている。簡単に紹介しておこう
『八月の銀の雪』:就活に苦しむ学生と、留学生としてベトナムから来日している女性研究者との物語。
『海へ還る日』:母子家庭の親子と、博物館の職員とのふれあいを描いた作品。
『アルノーと檸檬』:立ち退きを担当した不動産会社の社員と、身元不明の鳩を愛する老女との物語。
『玻璃を拾う』:男性不信となったアラサー女性と、病気の母を抱えるオタク研究者の物語。
『十万年の西風』:原発の再稼働を目指す男性と、戦時中に風船爆弾に関わった父を持つ男性との交流を描いた作品。
それぞれに科学的な記述が自然に落とし込まれているので、強い説得力で読者に語りかけてくる物語ばかりだった。そしてそんな科学的な内容はあくまでもサブであって、見事に人間が描かれている。文章が詩的で美しい。直木賞候補だったけれど、芥川賞候補でも問題ないと感じる内容だった、
ボクがもっとも感動したのは『アルノーと檸檬』という物語。主人公の男性は、あるアパートの立ち退きを担当させられている。ところがどうしても立ち退きに同意しない老女がいた。その理由が変わっている。
迷い込んだ鳩がいて、その子を置いてアパートを離れらないという。どうもこの鳩はレース鳩らしく、帰り着く家を探している。ところが迷ってしまって飼い主のいる家がわからない。だからこの鳩の素性を調べて、飼い主を見つけてくれたら立ち退きに同意するという。
それでその男性は必死になって鳩のことを調べる。その過程で様々なことがわかってくる。とても切なくて、心が痛くなった。だけど最終的にその男性は、この老女も鳩も守ろうと決意するという内容。ラストで幸せそうな鳩を見られるだけで、心が温かくなる作品だった。
まさに科学を物語に落とし込む手本のようだった。小説としてはボクの好みじゃない。だけどとても勉強になる作品だった。
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