死後世界の認知で起きること
もし死後世界の存在が証明されたならどうなるだろう? ボクは中学生のころからそれについて想像をめぐらせてきた。
死後世界が事実だとしたら、問題はその仕組みだろう。いまの生き方が死後世界でどのように影響していくか。たとえば自分のやった行いが、そのまま死後世界で反映されるとしよう。だとしたら人を殺した人は、自分も殺されることになる。地獄というのはそうした観念から生まれたものだと思う。
必然的につながってくるのが生まれ変わり。いわゆる輪廻転生という考え方。このシステムを信じることは、現在の生き方に何らかの影響を与えるものだと思う。この人生で終わりだと信じる人と、まだ物語が続くと信じている人とは、人生観、死生観が異なってきて当然だろう。
もちろんどちらがいいという問題じゃない。ボクの意見としては、どちらでもいいと思う。個人的には死後世界を認識しつつ、現在の『自我』はこれきりだと自覚して全力で生きたい。それがボクにはピッタリくる感覚かな。
そんな生まれ変わり思想をテーマにした小説を読んだ。
2021年 読書#122
『むすびつき』畠中恵 著という小説。妖(あやかし)が登場する『しゃばけ』シリーズの第17弾となる作品。2001年からほぼ1年に1作品が出版されている。この昨日は2018年に出版されたもので、ようやく最新刊まで追いついてきた。
もちろん主人公は廻船問屋兼薬種問屋を営む長崎屋の若旦那である一太郎。彼の祖母は大妖という名のある妖で、その血を引き継いで妖を見たり話したりすることができる。そして彼の元には、大勢の妖が集まって同居している。
今回も5作の短編が収録されていて、テーマは先ほど書いた生まれ変わり。いつものように笑いながらも、感動の涙を流してしまう素敵な物語ばかりだった。
『昔会った人』
『ひと月半』
『むすびつき』
『くわれる』
『こわいものなし』
という5つの作品。妖たちは人間とちがって何百年も生きる。だけど人間である一太郎は長くても80年ほどしか生きられない。それゆえ過去生で同じ妖たちと関わっている可能性がある。
『昔会った人』という作品がまさにそう。一太郎の家に居着いている金次という貧乏神がいる。まだ戦国時代だったころ、金次はある村の青年と知り合った。土砂崩れで埋もれていた金次を助けてくれた人物。それは金次と過去生の一太郎との出会いでもあった。
とても心温まる物語で、金次はそのときの若者である一太郎が目の前にいることを知って感動していた。詳細は割愛するけれど、一太郎は戦国時代の過去生でも、そして江戸時代においても、貧乏神である金次を毛嫌いせずに優しく接してくれる。そして安住の地を提供してくれた。
『こわいものなし』という物語も最高だった。有助という若い男性が登場する。彼は長屋の隣に住む女性が、一太郎を通じて救われたことを知る。それに関わっていたのが猫又という妖だった。そのことで有助はこの世に妖が存在して、人間は転生することを知る。
一太郎に会ってそのことを確認した有助は、『こわいものなし』となってしまう。なぜなら死んでも次の人生があると信じたから。だからこれまで怖くてできなかった人助けができる。そして彼は有言実行で少女を救い、自分は本当に死んでしまう。
その出来事にはある神社の神様が関係していて、気の毒に思った神様が有助に特別の恩恵を与える。それは、記憶を残したまま生まれ変わるというもの。それによって有助はさまざまな生き物に転生する。そして彼の悲願である人助けのために働ける転生を見つける。もちろん人間じゃないけれどねwww
人間はいまの人生だけじゃない。そう思うことで何が起きるか? この時代小説には、その問いに対する著者の答えが物語に込められているように思う。
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