人生での出来事に無駄はない
ボクは転職を繰り返してきたけれど、いまから思えば無駄なことはひとつもなかったと言い切れる。もちろん選択によってはちがう人生があっただろう。例えば外国語大学を中退しなかったり、どこかの職場で働き続けていたら、まったくちがう経験をしていたと思う。だとしても無駄なことはなかっただろうと確信している。
さらにボクは人間の自由意志が錯覚だと考えているので、『今』以外の人生はあり得なかったと思っている。後悔や葛藤を伴いつつも、結局はいまと同じ道を歩いていたはず。この世に生まれるにあたっては青写真があって、学ぶべきこと、そしてやるべきことを決めているんだと思う。
ある実話を描いた映画を観て、さらのその意を強くした。人生での出来事に無駄はない。
2022年 映画#189
『15時17分、パリ行き』(原題:The 15:17 to Paris)という2018年のアメリカ映画。実話の映画化ということでチェックしてみると、批評家の評価は最悪だった。ヒューストン映画批評家協会賞では最低作品賞にノミネートされたらしい。
でも監督はクリント・イーストウッド。ボクは俳優としても、そして監督としても彼の作品が大好きなので、そんな批評を無視して観ることにした。そして観て良かったと心から思ったし、なぜ映画評論家がそんな評価を下したのかわからない。人間の運命、あるいは使命というものを感じさせてくれる素晴らしい作品だった。
アムステルダムを出てパリへ向かうタリス高速鉄道というものがある。2015年8月21日、乗客554名を乗せた列車にモロッコ国籍のテロリストが乗り込んでいた。AK-47という自動小銃だけでなく、大量の拳銃や銃弾、そしてナイフまで持ち込んでいた。そして銃の乱射が始まった。ボクは知らなかったけれど、「タリス銃乱射事件」と呼ばれている。
ところが死者は一人も出ていない。なぜならこの列車に乗り合わせていた3人の若者が犯人を取り押さえたから。映画の主人公はこの3人で、なんと成人してからの彼らを演じたのは本人。ボクはそれを知らずに観ていたけれど、まさか素人だとは思えない演技だった。おそらくクリント・イーストウッドの演出が良かったんだと思う。
スペンサー、アレク、そしてアンソニーという3人のアメリカ人。小学校時代からの友人で、学校生活に合わずに落ちこぼれの3人だった。教師たちはこの3人がろくな人間にならないと言い切っていたらしい。スペンサーとアレクは軍隊オタクで、黒人のアンソニーを交えて戦争ごっこをして遊んでいた。
それぞれの家庭の事情で離れて暮らようになったけれど、3人は連絡を取り合っていた。スペンサーとアレクは軍人となり、アンソニーは大学生だった。この映画の鍵を握るのはスペンサー。アルバイト中に知り合った軍人の影響を受けて、傷ついた兵士を救う部隊の所属を希望した。
ところが肉体的な欠陥が見つかり断念。別の場所に配属されたけれど、そこも落第してしまった。最終的に配属されたのは救命行為を行う地味な部署だった。それでも格闘技の才能を認められて、彼はやりがいを感じていた。
アレクはアフガニスタンに派遣されていたけれど、アメリカにも戻ることになった。それなら3人でヨーロッパを旅行しようということになった。最初はパリに行く予定はなかったけれど、運命に導かれるようにして3人はパリへ向かうことになる。
そこで銃乱射事件に遭遇する。異変を感じてからの3人の行動に驚いた。すでに一人が撃たれて瀕死状態だった。スペンサーは得意の格闘技を駆使して犯人を押さえ込んだ。ナイフで切り付けられて大きな傷を負うけれど、スペンサーは犯人を気絶させる。
アレクは子供時代から銃のオタクだったので、犯人の持っていた銃をチェックしてあっという間に使用不能にした。アンソニーは他の乗客に危険を知らせ、パニックを防いでいる。そして銃弾を受けた瀕死の男性は、スペンサーの処置によって命を取り留めた。軍での実習の成果が生かされている。
もしこの3人が列車に乗っていなかったら、おそらく数百人の死者が出ていただろう。なのに命を落とした人はゼロだった。エンディングでフランス大統領から勲章を受け取る3人を観ていると、感動で思わず涙ぐんでしまった。
実話でかつ素人の主演ということで、映画としての評価は低かったのかも。だけど人生に無駄がないことを教えてもらえた。さすがクリント・イーストウッドだと思う作品だったなぁ。
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