恐怖症の根底にあるもの
恐怖症は一般的に病気のように扱われているけれど、ボクはどんな人にもその人特有の恐怖症が存在していると思う。本人が自覚していないだけで、怖くて避けている物や状況が誰にもあるはず。だから特定のことに対してパニックを起こしてしまう人は、自覚していない人に比べたら対応策が取りやすい気がする。
『ハリー・ポッター』のロンは蜘蛛の恐怖症だし、ハーマイオニーなんか成績が下がることに過剰に反応する。これだってある種の恐怖症だろう。有名な恐怖症では高所や閉所に関するもの。「ブツブツ」が怖いという恐怖症もある。
なぜこんなことを書いているかといえば、昨日ある記事を読んだから。ボクの知らない恐怖症はまだまだいくつもありそう。
タイトルでつい見てしまった記事。ここであげられているワースト7は知らないものがほとんどだった。記事から抜粋してみよう。
ワースト7:歩行恐怖症
ワースト6:決断恐怖症
ワースト5:食物恐怖症
ワースト4:睡眠恐怖症
ワースト3:雑音恐怖症
ワースト2:時間恐怖症
ワースト1:恐怖症恐怖症
興味のある人はリンク先の記事を見てもらえばそれぞれの症状について書かれている。もしかしたら自分に当てはまるものがあるかもしれない。興味深かったのはワースト1の恐怖症恐怖症。これは確かにやっかい。
何らかの物や特定の状況に恐怖を覚えるのではなく、恐怖を覚えることを恐れている症状。要するに恐怖そのものが怖い。だからどのような対象でも引き金になるかもしれないので、精神的にはかなりキツいだろうと思う。
ここからはボクの私見だけれど、恐怖症を突き詰めると根底にあるのは「ひとつ」だと考えている。それは『死』への恐怖。
その『死』への恐怖をさらに奥深くまで分析すると、ボクたちが最も恐れているのは『自我の喪失』だと確信している。『自我』というのは自分が自分であるという『記憶』のこと。恐怖の対象が何であれ、恐ろしいと感じるのは自分が自分でいられなくなるから。
『自我』を守ろうとする行為が極端になると、恐怖症というものになって顕在化するんだと思う。『死』=『自我の喪失』だから、人間の恐怖の根底にあるのは「自分という存在が消える」ことだと思う。
ところがやっかいなことに、そうした恐怖を抱えたままで死を経験しても『自我』は消えない。それゆえその恐怖を克服するために、もう一度新しい『自我』を持とうとする。それが転生の仕組み。つまりその恐怖を昇華しない限り、いつまでも『自我の喪失』に怯えることになってしまう。
だから恐怖症から完璧に解放される方法はひとつしかない。先ほども書いたように『自我』というのは自分であるという『記憶』でしかない。つまり『自我』の真の姿は実態のない『幻想』だと見破った瞬間、あらゆる恐怖症は存在意義を喪失してしまう。
そしてボクたちは『死』への恐怖、言い換えれば『自我の喪失』の恐怖から解放される。その状態に至ったことを『悟り』と呼ぶのだろう。ボクはそう考えている。
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