人にお金を貸してはいけません。
NHKの番組にタイムスクープハンターという番組がある。
別に毎回観ているわけではないが、
今日たまたまチャンネルをNHKに合わせていたら放送していたので観てみた。
モチーフは公事師(くじし)という、江戸時代の訴訟手続きの代行等を行う職業。
いうなれば弁護士の様なものである。
そこで描かれている江戸の裁判は結構おおざっぱなもので、
江戸時代の裁判手続きがどういうものか、いまいちよくわからなかったのだけれど、
わかったことは、
裁許(判決)が下され金銭の支払いが命じられれば、
相手方は必ずそれに従わなければいけないらしいということ。
ここで、現代の弁護士の立場から素朴な疑問が生まれる。
「もし相手方が任意に支払わなければどうするのだろう??」と。
僕も弁護士稼業をかれこれ4年近くやっているので、
貸金返還請求訴訟はかなりやっている。
すぐに思い出せるだけでも十数件はある。
貸金返還請求訴訟は、訴訟の構造や争点は非常に簡単でわかりやすく、
敗訴したこと等一度としてない。
それは僕が優秀だからだというわけではなく、
おそらく弁護士であれば誰がやっても同じ結果になったのではないかと思う。
さて、ここからが本題である。
現代の司法手続きでは、
江戸時代の公事師のように、判決が出てメデタシメデタシとは行かないのである。
判決を取った後には、強制執行という難問が待ち受けているのである。
そして強制執行の方が判決を取るよりも難しいのである!
被告が大企業であったり、経営のしっかりした会社、勤め先のしっかりした真人間であれば何の問題もないが、
どこの馬の骨ともわからない怪しげな相手や、
休眠会社、
ちっとも働いていない怠け者、
あるいは生活保護者などが被告であった場合、
判決をとっても、その後の強制執行は難航する・・・というよりハッキリ言って不可能に近い。
ときどき、依頼者の中には、
公正証書を巻いている人がいたりする。
そして、「公正証書になっているのだからすぐに取り返せるでしょ?」
などと気安く言ってくれるのである。
執行受諾文言付きの公正証書を巻いていても、
あくまでも判決を取るまでのプロセスを省略できるにすぎないのである(厳密には、公正証書は判決とは異なる。例えば財産開示の申し立てができないなど)。
結局、公正証書を巻いていようが、相手が任意に支払ってこない限り、
執行をかけなければ回収できないという点では何ら変わりない。
困ったことに、公正証書を巻いているからと言って安心しきっている人は債権管理などほとんど出来ていない。
Q「相手の銀行口座などは分かりますか?」
A「わかりません」
Q「不動産を持っていたりしませんか?」
A「もっていません」
Q「勤め先はどこですか?」
A「わかりません」
Q「今もこの住所地に住んでいるのですか?」
A「わかりません」
上記のやり取りは何度か経験しており、
これで債権を回収しろなどというのだから困ったものである。
このような事例で、債権を回収しろと言われても、基本的には難しいと言わざるを得ないのである。
しかし、依頼者は、債権を回収できないのは弁護士が無能だからだと本気で考えるから厄介である。
はっきり言わせてもらうが、回収不能になった場合、最終的には債権者の自己責任である。
とりわけ貸金の場合まさにそうである。
金を貸すことをよく「与信」とか「信用を供与する」とかいう。
英語でも「クレジット」などというくらいである。
よく依頼者には
「結局人に金を貸すということは、その人が金を返してくれると信じたからかしたのでしょ?
回収できなかった場合、自分に人を見る目がなかったのだと思って下さい」
と言っている。
人を信じてお金を貸して、返って来なかったとしても、それは自己責任以外の何ものでもない。
だから、僕が弁護士になってから学んだ最大の教訓は
人にお金を貸してはいけません
ということに尽きるのである。