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内村宏幸独占インタビュー

笑っていいとも

「笑っていいとも」が終わった。

1982年に始まったこの番組。

自分が高校を卒業して上京してきた年だ。

前年には「オレたちひょうきん族」も始まり、

まさに、フジテレビバラエティ全盛の時を迎えようとしていた時代だ。

その大きなうねりの中に、

自分も作家として参加できてた事は、本当に幸運だと思う。

多くの人がそうであるように、

いいともについての思い出は語り尽くせない。

もう誰も覚えてないと思うが、

いいともの中で毎週コントをやっていたことがある。

タモリさん、鶴太郎さん、久本雅美さんが、

それぞれおじいちゃんおばあちゃんに扮して、

毎回縁側で話すという設定だった。

なんと、劇団シャララの入江雅人くんもレギュラー出演していた。

こんな大胆なキャスティングが出来たのも、

その頃のいいともの良さだった。

一年間ではあったが、毎週アルタに通いコントを書き続けた。

本番が終わるとアルタのビルの中にあるトンカツ屋さんで

昼食を取りながら打ち合わせをして、

その場で次週分の台本を直すというのがその頃のいつもの流れだった。

食べ終えたトンカツの皿を横にやって、

当時手書き用に使っていたテレ原(テレビ用の原稿用紙)に向かっていた。

トンカツが嫌いになりそうな時もあった。

 

1995年、阪神大震災が起こった年だ。

その日は朝起きてテレビも付けないでアルタに向かっている途中、

ADさんから電話があり、

今日は中止だと告げられて初めて事態を把握した。

東京ではそんな状況だった。

その日からしばらく

「笑っていいとも」の内容もかなり自粛されたのを覚えている。

確かこの時、タモリさんが、いいともが始まって以来初めて

「ウキウキウォッチング」を歌わなかったのではないか。

バラエティの無力さを感じた時でもある。

 

実は、「笑っていいとも」には出演もしたことがある。

フジテレビで「やるならやらねば」という

ウッチャンナンチャンの番組をやっていた頃、

現在「めちゃイケ」の総監督である片岡飛鳥が、

当時は勢いのある若手ディレクターの一人で、

いいともの演出も兼任していた。

やるやらの会議が朝方に終わろうとした頃、

「明日のいいともに出てくれないか」と突然言われた。

それから考える暇もなく、

とりあえず自宅に戻り風呂に入って着替えて

そのままアルタに向かった。

やせ細った見た目を買われて出場したのは、

「健康に見えない人コンテスト」というコーナー。

コーナーを仕切っていたのは、

勝俣くんと堀部くんのコンビ、K2だった。

アルタのあの舞台に立ったが、

緊張で客席は真っ白で何も見えず、何をやったかもあまり記憶にない。

唯一覚えているのは、

僕がやった何かで勝ちゃんに思い切り引っぱたかれたことだけだ。

今となってはいっさい録画が残ってないのが残念だ。

もう一つ思い出として残っている出来事がある。

ウッチャンナンチャンがレギュラー出演していた頃、

当時は、テレフォンショッキングの電話の音声チェックを

リハーサルで実際にどこかにかけてみる

というのをやっていたみたいで、

その電話が一度自分のところにかかってきた。

グッスリと寝ているところに電話が鳴って出てみると、

聞き覚えのあるウンナンの声。

今アルタにいて電話のリハをやっているんだと説明されたが、

寝起きでよく理解できていなかった。

「明日来てくれるかな?」と言われ、

とっさに「いいともー!」と大きな声で答えてしまったが、

どうやらリハーサル中のアルタのスタジオには

全員に聞こえていたらしく、大きな笑い声が聞こえてきた。

もちろんタモリさんもいたようで、

ようやく事態を把握して青くなったが、

笑ってくれたとわかって何だか嬉しかった。

 

「笑っていいとも」では、

オープニングでタモリさんがセンターに登場すると

客席からものすごい歓声があがる。

いつ見てもこれは変わることがなかった。

だがこの状況を作るには、スタッフの並々ならぬ準備がある。

いいともに代表されることだが、

フジテレビバラエティの公開収録番組では必ず「前説」と言って、

本番が始まる前に、お客さんに向かって本番での注意事項、

拍手の練習などを、笑いを交えながら伝えていく。

「客を温める」という行為で、どこのテレビ局もやっていることだが、

通常は若手の芸人さんが担当するこの仕事を

フジテレビでは、

必ずADさんがやるのが伝統的な習わしになっている。

ここで、出演者の気持ちやバラエティ番組を作る事の難しさを

体を張って学び、鍛えられ、

その後、優秀なバラエティディレクターへと育っていく。

それが、フジテレビバラエティの強さを支えるものだった。

見に来ているお客さんの方も緊張している。

笑いを取りながらその気持ちをほぐし、

テンションが最高に上がった状態にして、

タモリさんの登場を充分に期待させる。

客席にいると、次第に早くタモリさんが見たいという気持ちになり、

それが最高潮に達した12時の時報とともにタモリさんが登場すると、

自然と大きな拍手と歓声で迎えたくなるという仕組みだ。

素晴らしい裏方の仕事ぶりだと思う。

 

もうひとつ、いいともの中には、

フジテレビバラエティの遊び心が垣間見える部分があった。

最近ではやってなかったのかもしれないが、

昔は、番組のエンディングのあと、

番組のスポンサー名が画面上に出て「この番組は〜」という、

いわゆる〝提供バック〟の時間があり、

スタジオが10秒程度映し出されるのだが、

タモリさんは、これを「偽善カット」と呼んでいた。

実際にいいともをスタジオで観覧したことのある人ならわかると思うが、

CM中にもタモリさんを始め出演者たちはいろんなサービスをしてくれる。

「後説」と言って、

番組が終わったあとも30分くらいお客さんを楽しませてくれる。

この一部が日曜日の「いいとも増刊号」で使われたりする。

かつてウッチャンナンチャンも、

この後説の時間に、持ちネタを披露していた。

ほぼ、使われる事のない話を、

その日来たお客さんのためだけにしてくれるのだ。

そして、この「偽善カット」の時もそうだ。

CM中にタモリさんが

「もうすぐ偽善カットです。ものすごく盛り上がっている感じに見せるのでご協力をお願いします」

と説明してくれて、いざそれが始まると、ほんの10秒程度の間、

ステージ上の出演者も、客席も、無理に盛り上がっている風に装うのだ。

スタッフの「はい、オッケーです」の声で、

タモリさんを始め全員が急にはしゃぐのをやめる。

これで客席はどっとウケる。

見に来ていると、これが楽しくてしょうがない。

自分たちも遊びながらお客さんを楽しませる、

その考えが隅々まで徹底していた。

番組を作るということは何か、自分も多くのことを学ぶ事ができた。

 

最終日の夜放送されたグランドフィナーレで、

その凄みを久しぶりに見ることができた。

夢のようなメンバーの競演だった。

錚々たるメンバーが一堂に同じステージに並んだ光景を見ただけで、

なぜだか涙が出てきた。

フジテレビがこれまで蓄えてきた最強のものだ。

お昼の楽しみがひとつなくなってしまったが、

年に一度でいいから、

あの信じられないような光景をまた見たいものだ。

 

 

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内村宏幸プロフィール

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内村 宏幸(うちむらひろゆき)
熊本県人吉市出身
放送作家。
主な担当番組

笑いの殿堂(フジテレビ)
夢で逢えたら(フジテレビ)
ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!(フジテレビ)
ウンナンの気分は上々。(TBS)
ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(日本テレビ)
笑う犬(フジテレビ)
内村プロデュース(テレビ朝日、後期はあんちゃん名義で担当)
サラリーマンNEO(NHK)
THE THREE THEATER→爆笑レッドシアター(フジテレビ)
LIFE!〜人生に捧げるコント〜(NHK)

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