令和へ
本日のブログ担当、遠藤風貴です。
今日は、平成“最後“の日ですね。
平成8年12月16日に誕生してから、今日まで沢山の出来事がありました。
5歳の時に近所のおじさんに誘われて始めたサッカー。
当時はサッカーが好きではなく(むしろ嫌いだった)、1週間のうち2回は休んでた。
そんな中途半端な自分を見て、叱ってくれた父のおかげもあり、9歳の頃チームを変え、本格的にサッカーを始めることができた。
とても下手で弱かった自分達のチームは、毎日のように走らされ、怒られ、怒鳴られ、ケツを蹴られるような日々。
すんごいキツかったけど、今思うと誰も弱音を吐くことなく、ずっとみんなで声出して、歯をくいしばって頑張ってた。
結局優勝することはなかったけど、
このチームに入れたお陰で今の自分があると感じる位良い集団だった。
中学では、練習場まで電車で片道40分の道のりを毎日通っていた。
途中東日本大震災があり、照明が1時間半しか使えない、且つ授業の関係で自分は30分遅れての参加だったため、1時間弱しかトレーニングができないという日々もあった。
それでも、同期全体がまとまって良い練習ができたし、なんとか関東リーグにも残留できた。
高校では、3年間親元を離れ仙台での寮生活を送り、自分で家事をこなす大変さを学ぶことができた。
サッカーもとても充実していて、全国大会や海外遠征も経験できたし、学校生活でも沢山の良い人達に囲まれ毎日が楽しかった。
大学に入ると、中々Aチームに上がることができず、凄く苦しんだ。挫折というものを初めて経験した。
結局四年間トップチームとして試合に出たのは最後の1試合だけだった。
だけど、この四年間のおかげでうまくいかない時こそ諦めず努力することの大切さに気づくことができたし、振り返ると凄く自分にとってプラスになった時間だったと思う。
そして今。
ブリオベッカ浦安の一員としてサッカーをしている。
大学時、別の道に進もうと考えていたが、やっぱり私はサッカーを選んだ。
諦めきれない、未練のような気持ちがまだあったからかもしれないけど、やっぱり一番は、「サッカーが好き」だから、この道を選んだのだと思う。
こうしてみると、私の人生の大半がサッカーで形成されてきた。
沢山の場所へ行き、沢山の人に出会い、沢山の経験をすることができた。
サッカーに出会わなければ、こんなに濃い人生を送ることはできなかったと思う。
サッカーをやってきて本当に良かった。
こうして、ここまでサッカーを続けることができているのは、間違いなく私の周りの人達のおかげです。
特に家族には、本当に感謝しきれないです。
送迎や毎日の弁当作り、金銭面などと本当に支えてくれました。
家族のおかげで、ここまでサッカーを続けることができました。
人間は1人では生きていけないからこそ、こういった感謝の気持ちを忘れずに生きる。
それはほとんどの人がわかっているとは思うけど、私も含めて、日々に慣れるとどうしてもその意識が薄くなってしまう。
そうゆう時こそ、周りで支えてくれた人達のことを思い出し、感謝の思いを持ち続けて今後も精一杯サッカーに打ち込んでいきたい。
そして、その感謝の思いをプレーで伝えられるような選手になれるよう、これからも頑張っていきたいです。
長々とすみませんでした。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
残り短い平成を楽しみましょう^ ^
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