努力だけが時間を美しく変えてくれる
おはようございます。
9月25日。木曜日。
兵庫県豊岡市出石町のホテルで目覚めました。出張中です。
昨日は京都東インターから国道9号線を走って福知山まで。
その後、京丹波町、大江町、与謝野町、加悦町、大宮町と車を走らせ、久美浜町に到達しました。
昨日の夜、出石町のホテルに泊まったのは、取材もありますが、私が京都で証券マンをやっていた時、
3年間、ほぼ毎週通った道をもう一度、車で走ってみたかったからです。
今から20年以上前、私は大手証券会社の京都支店にいました。当時の京都支店は荒れていて、職場環境は劣悪、パワハラ&暴力をふるう上司、上下関係と嫌な事ばかりを強いる先輩と、もう地獄のような毎日でした。(笑)当時の経験のお蔭で私は大きく成長できましたが、もう二度と経験したくない日々でした。
自信過剰な私は、人間的に尊敬できない人達からの罵詈雑言や暴力、嫌な仕打ちに疲れ果てていました。
人間関係にも仕事にも行き詰まり、でも自分はこの会社で社長になるんだ、という変な自信だけはあって(そういう生意気なところも虐められる原因でした。笑)今から考えたら本当に若気の至りでしたが、毎日、悶々とした日々を送っていました。あるべき自分と今の自分のギャップに絶望していました。
証券でも何でもそうですが、新規開拓つまり新しいお客さんを創ってこれるセールスマンは、ほとんどいません。1件、2件、数件ならばいますが、数百社単位で新規開拓をするセールスマンはいませんでした。
大体、仕事ができる先輩は、いいお客さんを転勤の時に引き継いで、いい成績を出す、というパターンでした。ですから営業は外ではなく社内に営業する、という風潮がありました。
変わり者の私は、上司や先輩から引き継ぎなどあるわけがなく(笑)、新規開拓だけで成果を上げなければいけません。それは可能性としてはほとんど奇跡が起きない限り無理な事でした。
仕事ができなければますます風当りがきつくなります。3年目の冬、私に対する苛めはピークを迎え、会社では針のむしろでした。
私は、本がとにかく好きで、絶望したり苦しいことがあると必ず本を読みます。その時も、京都の北山にある図書館に土日、通って本を読み漁りました。
その時、沢山読んだ本が参考になって、私は自分の営業地域を京都市内ではなく、福知山以北、久美浜や舞鶴、加悦や丹波、宮津方面に大転換します。そして毎週、雑務に追われる月曜日から金曜日ではなく、土日に必ず京都北部にあるその町を訪問しました。
上司にも誰にも内緒で、です。土曜日の夜は、久美浜温泉に入って、宮津にあるキャンプ場の駐車場に車を停めて車の中で本を読みながら眠りに落ちます。
その結果1年後には、京都支店だけでなく日本で一番の成績を収めるようになりました。いわば私の仕事の原点というべき場所が久美浜、それから京都北部です。
まともに仕事もさせたもらえない毎日から、一気に逆転できた道が、京都から久美浜、舞鶴へ至る道でした。
その後、会社を辞め、ベンチャー企業を起こしました。最初の数年は、もう倒産するか持続できるか、くらい追いつめられる毎日ですが、4年前よりなんとか黒字化し、業績も良くなってきてから、3年くらいですが、毎年、夏の終わりの株主総会が終わったら、京都北部地方を訪れるようになっています。
昨日も当時の事をいろいろ思い出しながら、車を運転してきました。
証券マンの駆け出しの頃は恥ずかしい思いや苦しい思い、悲しい思い、そして苦しい事ばかりでした。
あの頃を乗り越えることができたから、今があります
「時間だけが苦しみを美化してくれる」という言葉を当時信じていました。今どんなに苦しくても、努力を続けれ、時間が経てばその苦しみが美しく見える、という意味です。
あれから20年以上が過ぎても、未だ私はあの頃、自分の身に起こった苦しい出来事について、許す事ができません。悔しくて悲しくてやり切れない気持ちが残っています。まだまだ私も青臭いですから、もう少し時間がかかりそうです。(笑)
しかしあの頃があったから今がある、という誇りを持つことはできています。
年に1度、こうして久美浜を訪問する事で、あの頃、自分に言い聞かせた言葉を思い出します。
「私の道は間違っていない、そして努力だけが時間を美しく変えてくれる」
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