花燃ゆ「妻の戦い」(27回)を見て。
おはようございます。
7月6日。火曜日。
今日の東京地方は曇り。最高気温は23℃、最低気温は19℃予想です。
比較的穏やかな1日になりそうですね。
あっという間に7月です。
まだまだ梅雨は明けませんが今日は久しぶりに雨が止みました。
さて。
毎週楽しみにしているNHK大河ドラマ花燃ゆですが、
先週いよいよ前半のクライマックス禁門の変が終わりました。
主人公の1人である久坂玄瑞が自刃して杉文が悲嘆にくれる
という回でした。
久坂玄瑞が最期に臨むとき頭に浮かんだのが師吉田松陰の
「留魂録」の言葉。
第8節の部分を記します。
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今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。
つまり、農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。
秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れるのだ。
この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いた事がない。
私は三十歳で生を終わろうとしている。
未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、
実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。
だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。なぜなら、人の寿命には定まりがない。
農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。
人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。
二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。
十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。
百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。
私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。
それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。
もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、
それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。
同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。
(参考文献:古川薫著「吉田松陰 留魂録」)
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ちょっと長かったですが、短い抜粋では伝わらないかと思い記しました。
留魂録は吉田松陰が処刑寸前に小伝馬町の獄舎で記した炎の遺書です。
この遺書を読んだ弟子は発奮し、狂奔し、一気に明治維新の主役に躍り出ます。
キリスト教で言えば聖書にもあたる本です。
吉田松陰がいなければ間違いなく幕末の長州藩の活躍はなかったですし、
明治維新が薩摩藩のみで実行されていたら日本は植民地になっていたはずです。
植民地でなくても今の北朝鮮や中国のような民主主義国家ではない国になっていた可能性が高いと思います。
計算高く理屈っぽくて議論好き、正義感が強くて熱しやすくて冷めやすい長州藩の
(現在の山口県民)の気質が日本人の1つの権力主義への抑止力になっていると私は思っています。
そういった意味で吉田松陰は日本を救った志士だと思います。
松陰がいなければ長州藩なし。
長州藩なければ今の日本なし。
その吉田松陰が好んで使った言葉が
人生に四季あり、です。
私は講義などで日本料理は旬の芸術なんです。という時
人生に四季あり
そして旬に四旬あり
などとお話します。日本料理も人生と同じ。四季24節気を巡り楽しみます。
和食や日本文化を考える時、吉田松陰の言葉を思い出しますが
その中の1つが
人生に四季あり、ですね。
やはり日本人しかこういう発想は頭に浮かばないと思います。
松陰は、だから今(四季)この瞬間をを懸命に生きなさい、と言っているだと私は理解しています。
それでは。
今日も明るく元気に前向きに。
全力で頑張りましょう!
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