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父が亡くなって3年。

朝方、車で東京を出発して

滋賀の実家に帰って来ました。

明日は朝から父の三周年で

墓参りへ行って来ます。

滋賀県の比叡山に墓があります。

3年前の12月1日に父が入院先の病院で

亡くなりました。

父は何度も危篤を乗り越えて

生き永らえていました。

危篤になる度に

東京から滋賀県に駆け付ける事、数度。

ありがたい事に父はその度に

持ち直しました。

3年前も、父危篤の報がありましたが

私は博多でフードアナリスト4級講座があり

どうしても講師を抜けられませんでした。

父が亡くなった、と聞いたのは

講座の最中。

後をお願いして

博多から滋賀県草津市に向かいました。

博多の街をキャリーカートを引きづりながら

タクシーを探している時、

涙が止まりませんでした。

父の死に目に会えなかった後悔で

自分を責め続けながら

博多駅までのタクシーを探し、

博多から京都まで新幹線に乗り

病院ではなく斎場に移された父と

対面しました。


肉親が亡くなった時は

何をやっても後悔するものです。

ああしておけば良かった、

なぜこうしておかなかったんだろう。

そうした後悔や慚愧の念が

御葬式が終わっても

かなり長い間、続きます。

私も父が危篤の時、

どうしてすぐに病院に向かわなかったのか、

どうして博多の4級講座を優先したのか、

ずっとずっと後悔していました。

何度も何度も

博多で父が亡くなった事を

携帯電話で知った時の夢を見ました。

その度に

後悔して涙が止まりませんでした。

最近は少なくなりましたが

しばらくはかなりの頻度で

深夜、うなされて目が覚めました。

私はベンチャー起業家のつもりで

全てを犠牲にしても

自らの事業を推進して成功させる覚悟がある

つもりでいましたが

父が亡くなった時だけは

冷静ではいられませんでした。

会社を経営していれば

良い時も悪い時もあります。

ベンチャー起業家は、

志高く常にチャレンジを恐れてはいけません。

父が亡くなって3年。

挫けそうになりながらも

何度も手痛い目に遭っても

必ず立ち上がって来ました。

父を亡くした日にも

戦った事業を必ず成功させないと

私は必ずもっと後悔する、

だから必ず負けない。

闘い続けようと決心した日。

成功するまで絶対に諦めません。

成功するまで戦い続けます。

少なくなりましたが

今でも父の亡くなった日の夢を見ます。

今では後悔だけではなく

前向きに捉えられる様に

やっとなって来ました。

厳しかった父が

負けるな、と言ってくれている気がして。

今夜は父が好きだった司馬遼太郎の本を読みながら眠ります。



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横井裕之|よこいひろゆき(フードアナリスト協会創業者)プロフィール

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横井裕之(よこいひろゆき)
ニックネーム:よこちゃん
所属事務所:フードアナリスト・プロモーション株式会社
身長・サイズ:177cm・75kg
生年月日:1964年1月27日
血液型:B型

【経歴】
立命館大学卒業。大手証券勤務15年の後、(社)日本フードアナリスト協会を設立。理事長。

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