三つの顔
谷川浩司という棋士(将棋を指す人)が、こんなことを言っている。
「棋士は、勝負師と芸術家と研究者の三つの顔を持たなければいけない」
それはどういうことか。勝負師の顔が必要だということはすぐにわかる。でも勝負師の顔ばかりが強いと感情的になり過ぎて冷静になれない。
そして研究も必要である。でも研究ばかりしていると、それに縛られて勝負のための決定ができない。だから研究ばかりではダメだ。
また芸術家は理屈でなく、そのときに自分に沸いてきたもので創造していく。将棋の場合でも、そんなときにこそ、他人の思いつかないような手を指せる。
でも芸術家過ぎると、新しいことを考えることばかりにとらわれてしまい、勝つときはいいけれど、負けるときはアッサリ負けてしまう。
さて、この発言はいろいろなところで引き合いに出されているけれど、トレーニングについても言えるように思う。
トレーニングの本や雑誌をほとんど読まず、ただジムに来てトレーニングだけしている人がいる。勉強しなければ、廻り道するだけだ。
ぜんぜん大したカラダではないのに、やたらと耳年増で、他人のトレーニングについてアレコレという人がいる。研究ばかりで実践が伴っていない。これも失笑もの。
今までの常識を打ち破るようなトレーニング法を考える人もいる。しかし打ち破り過ぎて、ぜんぜん効果が出ていない人も多い。
すべてをバランスよく整えることが重要なのだろう。
若いころの自分を振り返ってみると(トレーニングのはなし)、「勝負師」と「研究者」の顔が強すぎたようだ。雑誌に載っているようなトレーニング方法ばかりに縛られ、自分で開拓していくことが少なかったかもしれない。
今は「研究者」と「芸術家」の顔が強いかもしれない。「勝負師」としての顔はほとんど無くなっている(-_-;)
常に「研究者」の顔が強いのは仕事の上で仕方ないことかもしれないけど、もし仕事を辞めたとするならば、もっと本能的にトレーニングしてみようjかな、と夢想することがある。
「今日はどこのトレーニングをやろうかな~」みたいな感じで。毎日腕ばっかりやったりして。でも、それも楽しいんじゃないだろうかな。