恩師
僕の中で「恩師」と呼べる先生が一人います。
それは東京造形大学の中川邦彦先生という、
当時僕が在籍していたデザイン学科映画コースの教授でした。
中川先生は僕が入学してすぐに選択した専門課程の教授でして、
4年間丸々お世話になった恩師です。
高校時代に映画監督になりたく、その夢を叶えるために入学した東京造形大学デザイン学科映画コース。
授業が始まって一ヶ月程度が経った時、はじめての課題である映像作品を提出しました。
中川先生は僕の作品を見て、その後の僕の人生を変える一言をくださいました。
「君は映画に向いていない」と。
志しを持った19歳の僕は、このあまりにストレートな酷評に対して
不思議と怒ることもなく、悔しくもなく、ただただ「じゃあ、映画、辞めよっかな」と思ったのです。
入学して一ヶ月。ゴールデンウィークの後ぐらいでした。
今思えば、「君はこっちじゃなく、別の道に進んだ方が良いんじゃないか?」という言葉に聴こえたのかもしれません。
映画を学ぶために入った学科のため、この日からほぼ大学に行く理由が無くなった僕。
翌月には映画とは少し方向を変えて芸能活動をスタートさせるのですが、
両親との「大学に入ったのなら、必ず4年で卒業すること」という約束のため、
その後は単位だけを取りに行くという学生生活を送ったのです。
芸能、アルバイト、遊びに忙しかった学生生活。
ほとんど寝ずに大学に行っては、授業中、教室の床に寝そべって熟睡するようなふざけた生徒だったんです。
ある日、眠りの中で授業中に同級生が「開沼、起こしますか?」と先生に伺う声が聴こえました。
それに対して中川先生は「寝かしていおいてあげましょう」と優しい声で応えていたんです。
出席日数も足りなく、課題も出さずのダメな生徒である僕に、毎年単位をくれた中川先生。
そのお陰で4年間、大学ではなく芸能に集中することができ、無事にデビューした訳ですが、
なぜ僕に先生は単位をくれるのか不思議な気持ちもあったのです。
何か一言でもお礼を言わなければ。
卒業式の後のパーティで、中川先生に土下座をしながら
「卒業させてくださいまして、ありがとうございます」とお礼を言ったのです。
土下座した頭をあげると、さっきまで立っていた中川先生が目の前で僕に向かって土下座をして、
「こちらこそ、卒業してくれてありがとう」と言っていました。
その後、少しだけゆっくりお話をさせて頂いたのですが、
先生自身も大学時代に俳優を志し、在学中に仕事を始めたせいで大学にはほとんど行けなかったそう。
それでも当時の教授は何も言わず自分を卒業させてくれたのだと話してくれました。
「本音を言えば君を卒業させたくはないが、その時の先生への恩返しで開沼君を卒業させます」と言ってくれたのです。
その後、僕は芸能の道で挫折を繰り返しながらも活動を続けていました。
先生のことを忘れることはもちろんありませんでしたが、
少し疎遠になっていた頃にFacebookが流行り出し久々に繋がることが出来たのです。
他愛もないメッセージのやり取りをしながら、
数年前に僕が脚本・演出・出演もさせて頂いた「時空堂revival」という作品に、
中川先生がわざわざお越しくださいました。
タイムラインへの投稿でお褒めの言葉を頂き、コメントを返し、それに対し僕に言ってくれた
「初心を忘れずに、書いて、演出して」という言葉。
先日、しばらく先生の投稿が無いなぁと、見てみると。
今年の2月にお亡くなりなっていたことに気がつきました。
そして、周囲からの話によれば、観劇に来てくださった頃は既に「癌」と闘っていたのだと。
東京造形大学名誉教授、中川邦彦先生。
先生の言葉で人生が変わり、
先生の優しさのお陰で、今でも仕事が出来ております。
今後も先生の作品のひとつとして、1日でも長く作品を創ろうと思います。
先生、本当にありがとうございました。
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