今年の活動を前に
古傷の痛みと風邪がちと厳しく、今日は練習を休みました。どちらもオーバーワークが原因なんだけど。
って、40にもなってお恥ずかしい。。。
けど、オーバーワークで体調を崩すなんて、日本では5年ぶり。それだけしっかり練習出来ているってことですね。
でも、しっかり練習出来ているのが5年ぶりって……
今だから言えることだけど、5年前にグラバカを離れて以降、それまでのような練習環境を作ることが出来なかった。
グラバカを中心に、とても充実した練習が出来ていた5年前までに比べたら、それ以降は例えて言うなら……
いつでも好きなときに好きなだけ、自分に必要な練習を、球場や球団のトレーニング施設ででき、その相手を務めてくれる人間にも事欠かなかった野球選手が、自らの意思でそこを離れた結果、
練習用具を車に積んで、その日その日で異なる場所へと練習に行くようになり、そしてその行った先では、それまでのような満足の行く練習は出来ず、どころか、質・量ともに半分以下の練習しか出来なくなってしまった、そんな感じだった。
それまではひとつの場所で、自分の得手不得手、これまでの練習や試合の内容を分かっている相手と腰を据えて練習していた訳で、
そこを離れ、ホームグラウンドを持たない出稽古の毎日になってしまったら、そりゃそれまでやっていた練習の質・量を維持するなんて難しいのは当たり前の話で。
何とかなると思っていたんだけど、甘かった。
俺にとっては、ひとつの場所に腰を落ち着けて、時間や相手に気を遣うことなく、自分の納得の行くまで練習することが何よりも大事だったんだ。
そんな練習環境を手放す前に、そのことを理解することが出来なかった俺は、先を読むこと、自分を知ること、感情で物事を判断しないこと……色んな能力に欠けていた。一言で言えば、バカだったんだな。
それまでも、常に感情で物事を判断したりしないように心掛けていたのに、このときは感情で判断しちゃって、そしてその判断は格闘技選手として大きな間違いで、高い代償を払うハメに。
2012年の1月だったか2月だったか、DEEPジムで長南が指導する練習に参加させてもらったとき、そのときもそれが久しぶりのマトモな練習だったんだけど、2年前に比べて全然身体が動かなくなっていることを自覚して、「あぁ、ヤバいことになったな……」って、相当凹んだのを覚えている。こんなハズじゃなかったと、やっちまった感満載だった。
当時の彼女にも、「俺は人生の分岐点で判断を誤った。あれがなければ、もっと素晴らしい人生になっていたハズなんだ。俺はもうダメかも知れない……」って、絶望感タップリに話したっけ。
そのときの彼女は、どんな気持ちだったろう。自分が惚れた男の口から、そんな情けない言葉が出るのを聞いて、俺以上の絶望感だったんじゃないだろうか。
なんて恥ずかしく、そして情けない男だったのでしょう。。。
そのときは既に心身ともに健康を損なっていて、そっちのほうが深刻な問題だったんだけど、その時点ではまだ自分がそんな状態になっているとは知らず……
〈この項続く〉
今度のTUFがアメリカン・トップチームとブラックジリアンのチーム対決で行われるらしく、その撮影にベンケイがブラックジリアンのコーチとして参加していることで、その間、俺は戻ることが出来ず、なので来月、日本でキックの試合をすることになりました。
ベンケイなしでMMAの試合は不安で出来ず、でも昨年7月からずっと試合をしてないし……なので、キックで。
その日本での久しぶりの、そしてブラジルで蘇生してから初めての試合を前に、今の気持ちと、そしてこの先、自分がどうしたいのかを、未だ私のことを気に掛けてくれている皆々様に知ってもらえたらと思い、一回一回が出来るだけ長くならないように(笑)書いて行きますので、
夜露死苦押願い致しま忍。