『FORGIVENESS』 (ゆるされゆるすこと)
「ゆるさないのはゆるされていないからであり、ゆるすのはゆるされているからである」
良い人、また悪い人、と言うが、良い人が悪いことをし、
悪い人が良いことをすることもこれまた事実である。
善悪は人の中にあり、聖人などはひとりもいない。
人は誰であれ罪業深重(ざいごうじんじゅう)の凡夫である。
THE BIBLEには
「義人はひとりもいない…人はみな罪を犯し、神(大いなる方)からの
栄誉を受けることができない。」
とある。
親鸞は
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
と謳っている。
それは「善人が良い行いをとおして救われるなら、なおさらのこと悪人は救われる」
というのである。
魂のROCKERは
「裁いてはならない。それはあなた自身が裁かれないためである。
他人の目の中のちりを取り除く前に、自らの目の中にある梁(はり)を取り除きなさい…」
と語っている。
完全完璧な者などいない。
誰かを非難するその人も非難される者なのだ…
善人ぶることはない…
あなたの中にも問題があることを素直に認めることである。
パウロは
「わたしたちがまだ罪人であった時にJESUSがわたしたちのために
十字架の上で死んでくださることによって神(大いなる方)はご自身の愛を
明らかにされた…」
と語っている。
JESUSが弟子たちに教えられた主の祈りの中には
「我らに罪を犯すものを我らが赦す(ゆるす)ごとく
我らの罪をも許したまえ。」
とある。
赦され、また赦すことは人生を歩んでいく者にとっては
大事な課題である。
JESUSは
「医者を必要とするのは健康な者ではなく、病人である。
わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのだ…」
と謳っている。
人は赦されなくてはならない存在である。
己の落ち度と向き合い、許しを得た者は
落ち度ある者を受け止め赦していく者へと変えられる。
今日と言う日があなたにとって赦されていることを実感できる日となりますように…
「あわれみと恵みは赦されていることに気づかせてくれる。」
2019.12.19
アーサー・ホーランド