ブックカバーチャレンジ六日目
Facebookにて大好きな本とともに
ヴェルディハンドボールチームのメンバーを
ご紹介させていただいたのですが、
自らを振り返る意味でもとても意義深かったので、ブログでも。
【ブックカバーチャレンジ一日目】
尊敬する大好きな先輩で、ミュージシャン&システムエンジニア&コンサルタント&大学教授という
多彩過ぎるキャリアの松永 エリック・匡史さんからご指名いただきましたので、
七日間にわたり好きな本の表紙画像をアップし(内容の説明はなし!)、
素敵な仲間にバトンを渡していく”コロナに負けない自宅での生活を
読書の力で”という想いの活字文化活性化計画に参加いたします。
アドバイザーを務めている”エリックゼミ”
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本日の一冊は”日本サッカーに捧げた両足/木之本興三”。
Jリーグの立ち上げに尽力し、
創設後は専務理事などを務めた木之本興三さん。
古河電工(現J2ジェフ千葉)でプレーをしていた26歳の時、
グッドパスチャー症候群のため腎臓を全摘出。
引退を余儀なくされ、医師からは「持って5年」と宣告されるも5年半後に復職。
その後人工透析を続けながら1983年に日本リーグ事務局長に就任。
低迷期にあった日本サッカーの活性化に尽力し、プロ化の足掛かりをつくり、
Jリーグの創設、発展に大きく貢献なさった木之本さんが
2014年から日本ハンドボールリーグにマーケティングアドバイザーとして
関わっていたことを知る人は少ないと思います。
2014年2月18日。
当時の日本ハンドボールリーグの多田会長、家永GM、羽田事務局長と、
マーケティング部を牽引していただいたSCS木之本さん&坂本さんと。
2013年、日本ハンドボールリーグの初代マーケティング部長に就任した私は
幾多のご縁のおかげで20年前の1993年に開幕した
Jリーグ創設の立役者である木之本興三さんに出会いました。
「ハンドボールをメジャーに」 日本リーグの初代マーケティング部長・東俊介氏
その後、2014年から2年間に渡り日本ハンドボールリーグの活性化について
様々なご指導を受けながら活動してきましたが私の力不足で目標を達成することは出来ませんでした。
【乾坤一筆】“マイナー競技”ハンドボール活性化へ‐話題になる「何か」が必要
日本リーグ40周年に加え、2019年熊本女子世界選手権、
2020年東京オリンピックパラリンピック開催が決定しているというタイミングで
木之本さんのご支援をいただけるという千載一遇の好機を活かせなかった私は
自らの力不足を痛感し、大崎電気を退職し、独立することを決意しました。
それから一年、木之本さんは病に倒れ、お亡くなりになってしまいました。
何の恩返しも出来ないまま。
葬儀で使用された木之本さんの遺影は
日刊ゲンダイで私と対談した時のものでした。
様々な艱難辛苦を乗り越えて、日本サッカーリーグをJリーグにした方の
ちょっぴり怖くて、最高に温かくて優しい眼差しは私のことを見つめているのです。
木之本さんにいつも言われていたのは”耐えて、諦めない”こと。
いつか、木之本さんに”頑張ります!”ではなく、
”頑張りました!”と胸をはれるように、必ず夢を叶えます。
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本日は大手通信会社でスポーツビジネスを担当、
ともにヴェルディハンドボールチームを立ち上げていく
音無 朝陽 さん を指名いたします。
よろしくお願いいたします!
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