わたしにとっての節分
原田とのタイトルマッチ後
敗戦後にまた当たる事に
どこか気まずさを感じてましたが
挫けずまたベルトに挑戦できるよう
積み重ねていかねばならない
積極的にいきました
井上さんの
マサオワールドも堪能しつつ
やれた試合でした
またチャンスを掴めるよう
コツコツやらねばならない
心折れぬように。
七転び八起き。
昨日は節分
今年も消防団としての
お手伝いへ
商品交換や警備。
今年もやはり感じたのは
いくら気をつけて警備しても
いつ何時なにがあるかわからんし
防ぎようないなと…
子供達はトランス状態…
泣き叫び、豆や、投げられる柿ピーを
ください!と絶叫して前進してくる
前に来ても前より真ん中らへんが
取りやすいと思うのだが…
ぎゅうぎゅうで押し合いが凄い
一番前で壇上の壁の前に立って
子供達が倒れた時の助けや
壁に衝突するのを防いでいたが
やはり押されて転んでしまう子がいた。
すぐに立たせて守ったが
やはり物凄い危険
なぜあんなみんな必死なのだろう…
柿ピーとかで大怪我するリスクをおうのはどうなんだろう
ただ子供にとって節分の豆まきは
非常に危険をおかしてでも
気合い入るイベントなんだろうな。
そういえば自分が小学生の頃、神社の
豆まき参加した記憶ないな。
毎年のように警備して感じるが
いろいろと恐怖を感じる
事故などにならないようにしなければ
2月3日は亡くなった祖父の誕生日
警備から帰って
祖父の大好きな
あんぱんをお供えする
自分があんぱん大好きなのは
祖父の影響もあるのかな
祖父の介護を通じて自分は
たくさん学びがありましたし
自分がこれからやりたい事もできました
祖父のようにちょっとした転倒などを
きっかけに寝たきりになったり
認知症が進行してしまうケースは
多いそうです
来週から始まる体操教室などで
転倒防止になるような
トレーニングをしたいし
認知症の方や認知症の方を支える家族の
サポートをできる人でありたい
祖父みたいな
辛い思いをする人を減らしたい
そう思っています
なかなか20代の頃は祖父に
対してなにもしなくて
というか感謝の念ってのが
人として欠落していたと。反省しています。
数年前までは自転車直してー!
なんて頼み迷惑ばかりかけてました。
長男である自分は
やはり初孫とあり
大変可愛がってもらいました
自分が福祉などの活動を行う動機
また高校にいったり勉強するきっかけ
自分の未来を導いてくれているのは
おじいちゃんだと思っています
志を常に忘れぬように
携帯の待ち受けも祖父との写真にしてます
祖父は若い時、新潟から川崎に来て
戦後の貧しい時代
自分で木や材料を集めたりして
アパートを作り
困っている人や貧しい人を
泊めてあげサポートしていたそうです
みんなが豊になるようにと
『豊荘』とつけたアパート。
自分も小学生まで住んでいた
豊荘。
父がずっと祖父が凄い立派だと
言っていた事
なかなか自分は理解できなかったけど
今は物凄く理解できます
おじいちゃんみたいには
できないかもだけど自分も
血を受け継ぐ者として
死ぬまでに人に喜ばれる
何かを成し遂げたい
健康で穏やかな日々が
みんな過ごせるといいなと思います
というわけで
今日もムイビエン!