想えば
お兄ちゃんの子どもが産まれて1年。
お兄ちゃんが天国へと旅立って1ねん。
兄を想わない日は1年の中でほんの数日だった1年でした。
生きてた時にはそんなに兄を愛しく思うことなんてなかったかもしれない
大好きで自慢で、大好きで、誇らしい兄でした。
1月21日
母からのラインで
ゆうちゃんがガンみたい
腹水が溜まってるって
腹水なんてはじめて聞いた言葉で
膝に水が溜まるくらいだと思いました
あの時ばかりは
この世の便利さがいかに残酷かと
嘆きました。
ガン スペース 腹水
と調べれば横に出てくるのは
末期
余命
そんな言葉でした
その日に家族は集まったけど
わたしはただ泣いて
吐くほど泣いて
地鳴りのような沸き立つ感情を抑えることが出来ませんでした。
葬儀のあと
半年以上
わたしは兄のこどもには会えませんでした
似すぎてて
その子の成長が
同時に兄を過去にしていくようで
受け止められなかったんです。
家にあるたくさんの写真も
小さな骨壷も
見える景色が
そのすべてが
わたしから兄を奪うような気がして
向き合えなかったんです。
今もわたしは向き合えているんでしょうか?
最愛の兄を亡くして
それを受け止められているんでしょうか。
触れることも
話すことも出来ない
どんなに願っても
もうここにはいない。
兄の病気を知った時に作っていたのが
1stシングル
流星のワルキューレ
でした。
今生きる
これは兄への想いを込めた一言でした
今生きてるその1分1秒、1日が
どれだけ大切で幸せなのか
改めて教えてくれました。
この1年は
わたしにとって沢山のことがあった1年。
同じガン患者をもった家族、遺族
これからの未来
そうなったとき
家族はどう向き合えばいいのか
こんな感情を持ってしまった
いいえ、それは当たり前なんです
そんな、家族の人達に向けて、私が出来ることを
これからはしていきたいと思います。
少しずつ、兄との短い闘病生活を
記していきたいと思います。