くそみそか2013
行動分析学者、奥田健次です(>_<)
パートタイム教授、やってます。フルタイムは2年前に退職させていただきました。
大学という組織から離れることは、本音を言えばチョット怖かったんですよね。
何が怖いって、おれみたいな変人の場合はね。世間一般の人のしてしまう類の心配なんかとは違います。世間一般では、実際にしばしば聞かれることは「給与所得者でなくなるってことに怖さを感じませんでしたか?」という物の見方のなんと多いことか。
おれは違うねん。
おれみたいなのが組織から出てしまうと、クリエイティブに何でも好き勝手なことを誰にも諮らずに自由にやれるという、そのあまりにも何でも出来てしまう自由さが怖いという。
給与所得がゼロになることってのは、そりゃ確かに通帳を見たら毎月必ず振り込まれていた給与ってものが3月で終わって4月は無し。この違いってのは「うぉぉ・・・」と、ちょっとした寒気を覚えたよ。と同時に、組織の中では有耶無耶だった「おれって生きてるぜ!」という感覚が呼び覚まされ。拙著『メリットの法則−行動分析学・実践編』の「あとがき」の通りですよ。
目の前には、手に入れた広大な5,000坪の土地。最悪、ここの野草を「ちぎっては食べ、ちぎっては食べ」すれば良い。学会では「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」してきたけど、それではメシは食えないからな。
まあね。大学という組織の中にいてすら、自分自身の自由度は高かったと思うよ。組織の中には、組織もあってね。たとえば組合とか。おれはそういうのにも属さないからね。単なる損得勘定でモノを見れば、それなりに損もさせられたけれども、そんな勘定ってナンボのもんやねん?
だから、別に組織の中にそのまま居たとしても、いわゆる上司のような立場の人にだって色々と「おかしいでしょ」と言い続けただろうし、年下の立場の人の考える面白い提案なんか大賛成することも続けただろうね。
適材適所っていう考え方ができる上司もいたけど、小学生レベルの「平等(ズルいのはダメ)」を振りかざす人もいて、そうするとおれみたいに偏りまくりの尖って突出しているのは嫌われるよね。
何処へ行ってもそうでした。
小学生の頃からそうでした。
懐かしいね、前のブログで反響のあった記事(『永久に少数派』)。
ま、今までいくつかの大学で勤めたけどさ、学長に向かって「そんなん小学生レベルの感情ですやん!」「学長がしっかりせんからアカンのです」とかってご本人に面と向かって言うことしばしば。笑う学長もいれば、本気でムッとする学長もいて、そりゃまあ面白かったぜ(^3^)=3
ちゃんと「ですます口調」でしょ(^_^)v
学長「キミもそろそろ将来的なことを考えた方が良いだろう?」
おれ「いや、そんなん何とでもなるから、今そんな話とちゃうでしょう? 話をすり替えんとって下さいよ」
学長「でも、本当にキミの将来のことが心配で・・・」
おれ「余計なお世話です、学長こそ将来の、てゆーか、明日の心配をしながら一歩一歩しっかり転ばぬように気をつけて下さい」
こんな会話はザラでしたからね┐(´д`)┌
そもそも、おれに対して「キミ」「アナタ」と言ってしまったら基本的にお終い。おれは内心で「コイツ、アホや!」と思ってしまうもん。
そんな感じで、組織にいるときにはそれでも我慢してましたよ(「それでか?」と言われそうやけど)。そんな足かせが外れて3年目に突入します。
1年を振り返ってみて、「あかんもんはあかん」「ええもんはええ」「白は白」「黒は黒」「グレーはグレー」「事実は事実」と分かりやすい生活&仕事をしてきたなと。
色んな意見があっていい?
クソだね、そんなユルイ物言いは。
事実に事実を重ねて、結果で物事を見れば良い。
2013年はたまたまテレビなどのメディア関係の仕事が多かったです。
実際にカメラが回っているところで、おれは「そういうのをクソ野郎ボケナス軍団って言うんですよ」とか真面目な顔で言い続けて、それらはディレクターの冷や汗と共にすべてカット。もちろん、感動的なエピソードもあって、その事実をお伝えするときにはそれなりの真剣なモードで語りまくり、そうするとそこはディレクターの満足げな納得顔を経てオンエア。
分かるけど、いかんよ、それではっ( ̄Σ ̄;)
「生放送では危険すぎて使えない」とも言われていますが、じゃあテレビのほうは収録で。ラジオはテレビほど厳しくないみたいなので、過激派心理学者の路線って有り得るのかも。フロイト派とかユング派じゃなくて、過激派ってどうよ(^^ゞ
おれ自身が、クソもミソも混ぜまくりの投げまくりの、ぶちまけまくり人間だもの。2014年も、そのままで行くしかないがな。
おかげさんで2013年、ブログを書き続けることができました。
2014年も汚言クソまみれでしょうが、お楽しみいただければと思います。
奥田健次//
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