まだまだぁ~勝負はこれからや!
ダイヤモンドブログの芸能ニュースでも取り上げて頂きました。
PaniCrewのシングル&ベストアルバムの同時リリース。
皆さん驚きました?
正直、皆さんよりも自分達本人の方がビックリでしたw
ここ数年はメンバーも個人での活動が増えてなかなか8人揃って何かをするって事がそれぞれに責任ある立場が出来て難しくなってました。
まぁそれ当たり前の事やと思ってます。
元々25才ぐらいまで仕事をしながらダンスシーンでダンスコンテストやダンスイベントにばかり出てて、特に俺はダンサーとしてのプライドとかもあったり、アンダーグラウンドの格好いい所とかも大好きで
何よりも仲間と踊るのが楽しくて。
その頃の不安といえばいつまでダンスが出来るやろ?とかダンスで飯食える?って事でした。
ある日、電話がかかってきてある人が会いたいと言ってるって事でした。
そのある人っていうのが、現Amuseの大里会長でした。
サザンオールスターズっていう日本一のバンドを売り出した凄い人でした。
その凄い人にスカウトされちゃった(笑)
そして最後にダンスコンテストに出たのが1998年のJAPAN DANCE DELIGHTでした。そして優勝出来ました。
それからしばらくはダンスイベントには出なくなり、ストリートを始めた。
ストリートでは10分間足を止めて見てくれる人は少なかった。
ダンサーとしてのプライドはズタズタやったけどw
色々と自分達で試行錯誤して考えて踊っていくうちに少しづつ足を止めて見てくれる人が増えて、毎週楽しみにしてくれるファンの人が出来て毎週大阪の京橋駅に1000人とか集まるようになった。
東京に進出して、またまたストリートが始まり一からスタート。
亀戸サンストリートでお客さん3人とか、代々木公園で5人とか。
だけど大阪で経験した事を生かしていくと、噂が噂をよび、PaniCrewのストリートを楽しみにしてくれる人が100人、500人、1000人、2000人とどんどん増えていった。
その頃は本当にダンスは深夜のクラブで踊って、プロのダンサーになりたかったらバックダンサーにってぐらいしか選択肢が無かった。
同時の取材とかでよく、履歴書や職業の所にダンサーって書けるようにしたいって応えてた。
そして、コロンビアからメジャーデビューが決まった。
タイトルは【DisCoNection】
このタイトルは造語やねんけど、当時DISCOがどんどん潰れ音楽を聞いて踊る場所はCLUBってなってきた時代。
DISCOのように色んな職種の人が集まり皆が音楽を通じて繋がれればいいなぁって思いでついたタイトル。
それとPaniCrewが結成前からDISCO CONNECTIONってよく踊る代表的な曲も洋楽であるんやけど。
メジャーデビューが2000年11月。(wikiった笑)
多分、ダンスチームからそのままデビューしたグループはPaniCrewが一番最初かな。
「PaniCrewが切っ掛けでダンス始めました。」とか言うてくれる人も沢山います。
今は昔に比べるとダンスも教育に入ったり、ダンススクールも増えてすごくダンスを始めやすくなった。
格好いいダンサーや世界で活躍するダンサーも日本人で沢山いる。
ただ入口は増えたけどまだ出口は少ない。
PaniCrewのメンバーは原点のストリートの時代があったからこそ、それぞれが色んな事を出来てるんやと思う。
俺個人でも、TVに出たりダンスユニットでキッズと踊ったり、アイドルプロデュース、振り付けやったり、キッズダンス映画プロデュースしたり、自分のレギュラー番組もラジオもやったり本当色んな事してきた。
表側も裏側も15年経ってメンバーそれぞれが色々さらに経験した。
いわゆる、、、
おっさんなりました(笑)
そんなおっさん達8人が新たに日本の音楽シーンにメジャーで挑戦
皆さん気合い入れて応援して下さいw
とにかく、新しい事が発信できたらええなぁ~♪
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