3月3日 月曜日第43回卒業証書授与式・閉校式に、出席させて頂きました。
45年前に創立された、気仙沼女子高校。
はじめは裁縫塾でしたが、気仙沼高等服装学院に発展します。
その後、気仙沼家政高校として歩み始めました。
大学進学希望者の増加に伴い、家政科、商業科、普通科の3コースとなり、気仙沼女子高校となりました。
そんな気仙沼女子高校ですが、3年前の東日本大震災により、定員120人に対して20人を割るまで落ち込み、今年度の卒業生18人を送り出し、45年の歴史に幕を閉じることとなりました。
高校は高台にありますが、その下には海が広がっています。
テレビで目にした方も多いかと思いますが、気仙沼では、港のタンク22基が津波に流され、200リットル入りのドラム缶5万7600本分の油が流出し、海上で火災が起きました。
焦げた船が目の前にあったり、
打ち上げられた船があったり
瓦礫があったり…
そんな中、入学式が行われ、登校する日々。
同級生は18人のみ。
8月になると生徒募集停止と閉校することも告げられ、後輩も入ってこない現状となりました。
本当に不安しかなく、目標なんてもてる状況ではなかったでしょう。
それでも、彼女達は今までの先輩方の築き上げた伝統を守ろうと、学業、部活動、生徒会活動に励みました。
厳しい状況でしたが、国内外から大阪府が修学旅行に招待、アメリカ、イスラエル、オーストラリアへ研修に招待された生徒もいました。
そんな中一人の男性が気仙沼女子高校の生徒と出逢い、
『今、何が欲しい?』
との問いに
『思い出が欲しい』
と答えられて、彼女たちに少しでも思い出ができたらという願いから、学校と相談の上、愛媛県研修旅行が行われました。
この男性は関東の愛媛県人会というボランティア団体の一人でした。
主に気仙沼大島の瓦礫撤去や炊き出し、みかんを全家庭へ届けるなど、支援をしてきました。
愛媛県研修旅行では、愛媛県西条農業高校との交流もあり、卒業式ではお互いがお祝いのビデオレターやプレゼントを贈る一幕もありました。
18人の同級生でぶつかり合ったり、助け合い、卒業の日を迎えました。
こうして、不安な入学式から日を追うごとに彼女達は気持ちの変化が表れたと言います。
その証として、卒業時の夢や目標に『世界一の~』や『一流の~』という言葉が書いてありました。
これを見て私は涙が溢れました。
さらにスゴイのが、卒業生18人のうち半数が皆勤賞!
これには正直ビックリしました。
今後、社会に出ても、素晴らしい、素敵な人になるんだろぉなと感じました。
閉校となった気仙沼女子高校ですが、最後の生徒さんは今までの生徒さんとは何倍もの苦楽があったことでしょう。
人間としても成長したのだと思います。
これからの歴史が刻まれることはなくなりましたが、今までの素晴らしい歴史はいつでも誰でも振り返ることができます。
卒業生の皆さん、
卒業おめでとうございます。
皆さんの笑顔に私はパワーもらいました。
ありがとうございます!
気仙沼女子高校様、
ありがとうございました。
※本文一部は『三陸新聞』より引用
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