【想い】「夢は大きく、欲は小さく」
今日はいつも考えることをツラツラと。
小学生か、中学生の頃、何かの課題で自分の好きな言葉を書くというのがあった。そのとき書いた言葉は、「夢は大きく、欲は小さく」だった。
一部だけが幸せで他の人達が不幸せな世界では、争いは絶えず起きてしまう。そんな世界は僕は嫌だな、って今でも本当にそう思う。幸せになりたい、それは誰しもが思うことだけど、それは誰かから奪って得られることじゃない。幸せは分け与えることではじめてもたらされる。
それを本当に理解している人ってどれだけいるんだろう。
小学生のときに将来なりたい職業は「プロ野球選手」「教師」だった。抽象的に捉えれば、「プロ野球選手」は、子供たちに夢を与える職業。「教師」は、子供たちの可能性を最大限に引き出す職業。
だから今も、僕は誰かにとってのヒーローになりたい。傲慢な風に聞こえるかもしれない。でも、僕の夢は「出来るだけ多くの人たち、夢や希望といったポジティブは影響を与えられるような職業に就くこと、生き方をすること」だから、つまりヒーローになることなんだろうな。
昔から僕の軸は変わらない。「夢は大きく、欲は小さく」。
幼いながらに豊かに生きる方法を知っていたのかもしれないな。
欲には限りがないこと。
誰かを幸せにすることが、自分の幸せになること。
僕も当然、人間だから、迷ったり悩んだりする。それでも、何度悩んでも、必ずここに帰ってくる。
僕には誇れるような名声も権力も何もないけど、いつだって「幸せな人生」だって心の底から思えることだけは僕の自慢かな。今まで、たくさんの人たちに分け与えてもらってきたことがわかるから。
おとんとおかんの子供だったこと、名前が亮祐だったこと、姫路という場所に生まれたこと、兄貴が病気になったこと、家庭が裕福でなかったこと、今まで出会ったすべての人たちと出会えたこと。
どれかひとつでも欠けていたら、また違った僕になっていたかもしれないから。
ひとつでも欠けていたら、こんな気持ちにならなかったかもしれないと思うと、幸せでしかない。
僕の内なる声は、潤い満たされているから。どんな苦難や試練も乗り越えていけるなって思う。
いつか僕と未来の奥さんのもとにやってきた子供たちには、伝えていきたいな。
全ての物事には意味があるんだって。社会的立場や全てを失ったとしても豊かに生きていけるように。虚無感に苛まれても、つながりのない世界にいても、幸せを見出せるように。それがほんとの幸せだよね。
そして、この先、親が亡くなったらきっと泣くだろうけど、なんかわかるのは、その後でもおとんとおかんは絶対に僕を見守ってくれているってこと。
だから、もしひとりになっても僕の中に温もりは残ったまんまだと思う。要は、僕はもう幸せで満たされてる。次は僕が分け与える番なんだ。あとはそのために必要な努力をしていくだけなんだ。
こんなことを考えているときが一番、生きている実感がしてくる。いつだって生きている人間でいられるように、明日も頑張ろうって、そう思った。
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