答えは自分の内側に
春分が過ぎて、日が長くなってきましたね。午後から大掃除をして、原稿を書いて、読書をして、ブログを書いています。
ホウキハナモモは満開になって、街を歩く人を楽しませてくれています。
私が最初に出版した本はスピリチュアルに関する本ですから、当然ながら子供の頃からそうしたことに関心を持っていました。自分の体験したことを通じて、その本質や意味を知りたいと感じたからです。
私のように子供の頃から関心を持っていた人は少ないかもしれませんが、人生を過ごしていくとスピリチュアルの世界に関心を持つことがあるかもしれません。それはいわゆるオカルト的なことだけでなく、人生を生きていくうえでの心のあり方等を知りたいという欲求もあるでしょう。
身近な人が亡くなったり、人生での節目を迎えたり、就職したり、失業したりと、人生では様々な出来事が起こります。そのようなとき、誰かの話を聞いたり、書店でたまたま見かけた本を手にして、精神世界について考えるきっかけになることがあります。最近ではネットでもそうした出会いがあるでしょうね。
人によってきっかけは違っても、スピリチュアルな世界に入っていくときの最初のパターンが存在しています。それは自分の外に答えを求めていくという姿勢です。
本を読んだり、セミナーに参加したりして、自分の求めている答えを得ようとします。もちろんそれらは無駄ではないと思いますし、もしかすると人生を変えるような情報を得ることがあるかもしれません。
しかしその後に進む方向としてありがちなのが、答えを求めて放浪するということです。ある人のセミナーに参加して「あぁ、わかった!」と思っても、しばらくするとまだ答えが見つからないと感じます。すると、また違う人のセミナーに参加して答えを教えてもらおうとします。
ふと気がつくと、何年もの時間と多額のお金をかけて、いくつものセミナーやカウンセリングを渡り歩くとことになります。もし怪しい宗教団体に属していなければ、ラッキーだと思える状況ですね。私はこの状態を「スピリチュアル難民」と勝手に名前をつけています
かくいう私も、20代から30代の前半にかけて同じような「スピリチュアル難民」になっていました。実はこの状態を一度は経験することは、決して無駄ではないと思うのです。
答えを求めてどれだけ自分の外側を探しまわっても、それが無駄なことだと気づけるからです。あぁ、誰も答えを教えてくれないし、言われた通りに修行をしても瞑想をしても、ちっとも人生が変わらない。そのように感じて途方に暮れることは、実は恩寵なのです。
そこで初めて自分の内側に意識が向きます。全ての答えが最初から自分の内側にあったことに気がつくのです。「自我」という制限された枠を超える本当の自分が何者であるかを思い出すことで、求めていた答えを既に手にしていたことを知ります。
読んでいただける方に、そのようなことを考えていただける物語を書きたいなぁと思っています。そのためにも、私自身がしっかりと自分を見つめることが大切ですね〜
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