プチ☆スピ Vol.11
今日も一日いい天気でしたね。アウトドアを楽しむにはいい季節です。私は相変わらずインドアですけれどね。来週は伊勢に行く予定ですので、それまでは仕事に集中したいと思っています。
午前中に見つけた綺麗な花を見て、インドアで癒されいま〜す
【どのような時、学びは起こり得るか?】〜『四季の瞑想 クリシュナムルティの一日一話』より。
今日の言葉は疑問形になっています。ということは、まずは自分で考えてみましょうということですね。その前にクリシュナムルティが言っている「学び」という言葉の意味について確認する必要があります。
「学びという言葉によって私が意味しているのは、単なる記憶力の養成や知識の集積のことではありません。そうでなく、思い違いなどせずに、健全で明晰に思考する能力、信念や理想からではなく、事実から始める能力のことを言っているのです」
この言葉から見えることは、当然ながら単に情報や知識を身につけるだけならば学びではないということですね。それは明確な目的があって、こうなるであろうという予想のもとに行われている行為です。つまり、学ぶという行動に対して、すでに結論から始めているということですね。
ですからクリシュナムルティが言っている「学び」を起こすためには、常に新鮮な気持ちで起きる出来事に向き合うということが必要だと思います。過去の経験から物事を決めつけてしまうのではなく、同じことだと感じることでも全く新しい視点で対応するということですね。
先入観で起きる出来事に対応するということは、意識がある種の強制を受けているということだと思います。「これはこう見るべきだ」という過去の経験により強制された視点で出来事に対応する限り、私たちは本当の意味の「学び」を自分に起こせないということでしょう。
先入観による批判や判断を手放した時、学びは起こるのではないでしょうか。クリシュナムルティはこう答えています。
「学びが可能であるのは、いかなる種類の強制も存在しない時だけです。しかしながら、強制は様々な形を取るのではないでしょうか? 感化を通しての強制、執着や脅しを介してのそれ、説得のための激励や、微妙な形の報いの約束を介してのそれがあるのです」
いつも人生で起きる出来事に、「今、ここ」の新鮮な気持ちで対応していけたらと願っています。
「学ぶということには、理解することへの愛、何かをすることへの愛が含蓄されています」という彼の言葉は、「今、ここ」での新鮮な気持ちを説明したものかもしれませんね。
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