可愛さの基準
神戸は雲の多い一日でしたが、雨は降らずに少し肌寒い気温でした。快適に過ごせましたので、仕事は順調に進んでいます。
引きこもりの日は昨日の写真をアップしていますが、これって何と言う名の花でしょうね?名前はわかりませんが、可憐で可愛い花ですね。
この「可愛い」と思う感情は、いったいどこから来るのか考えていました。今朝は窓を開けて瞑想していたのですが、暗いうちは静かだったのですが夜が明けてくると鳥の声が聞こえてきます。その声があまりに可愛くて、思わず微笑んでしまいました。
客観的な視点で見ると、鳥の声が空気を振動させて耳の鼓膜を揺らしているだけです。でもその音に「可愛い」という感情が伴うのですよね。でも道路を走る車の音が同じように聞こえてきても、「可愛い」とは思いませんよね。
だったら鳥の声なら全て可愛いのか? そうとは言えないかもしれませんね。ベランダに鳥が糞をして困っている人にとっては、鳥の声が聞こえたらウンザリするかもしれません。けれどもツバメが巣を作ると、糞をしても大丈夫なように囲いを作ったり、傘を裏向けにして糞置きを作っている人もいます。糞をする鳥でも可愛いと思う人もいるのですね。
動物の赤ちゃんは無条件に可愛いと思います。もしかしたら、生存していくのに保護を必要とする赤ちゃんは、可愛いと思うように私たちの遺伝子にインプットされているのかなと思います。しかし私は蛇の赤ちゃんを可愛いと思いますが、蛇なら悲鳴を上げてしまう人も多いかな?
集中して原稿を書いているときに、マンションの廊下で子供が騒いでいると気になることがあります。カフェで騒いで走り回っている子供に注意したこともあります。でも不思議なことに、普段からよく知っている子供だと気にならなかったりします。騒いでいても可愛いとさえ思うことがあるのですね。
「可愛い」と感じるのは、その対象を「受け入れて」いるからではと思います。ミューナが部屋の壁紙を剥がすようなイタズラをした場合、注意することがあっても怒ることはありません。愛すべき存在として、彼のことを無条件に「受け入れて」いるからだと思います。
「可愛い」という感情は、対象を「受け入れる」ことによる生じる愛おしさではないでしょうか。私たちが「受け入れる」対象の範囲を広げれば広げるほど、地球に存在する多くのものを「可愛い」と感じるような気がします。全てを「受け入れ」ることができると、人生で起きる全てが愛おしいのではないでしょうか。
でも、今の私には「受け入れる」ことができないものが存在するのは確かです。子供を虐待したり、動物を無惨に死なせるような行為を「受け入れる」ことはできません。人間同士が殺し合う戦争も、愛おしいとは思えません。う〜ん、この現実は興味深い世界ですね〜
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