暑いと不快は、別々
今日は局地的な大雨が降っているようで、東海道新幹線が時々停まっていました。神戸は全く雨の気配がなく、午後に突風が吹いた時間帯があっただけです。きっとどこか近くで急な雨が降っていたのかもしれません。
またまた昨日の写真をアップして楽しんでいます。明日は3連休のまんなかですが、散歩と買い物に出たいと思います。
今日は自宅に引きこもって読書をしていましたが、先日ブログで紹介したハリー・ポッターのサイトでも遊んでいました。魔法薬を作るのに苦労していまして、スネイプ先生に怒られそうで〜〜す
昨晩、寝ようとするとまた蚊に襲撃されました。たった一匹の蚊を発見するのに苦労しました。毎年一匹か二匹撃退する程度なのですが、今年はすでに四〜五匹と追いかけっこをしています。気象も異常なことが多いですから、もしかしたら生態系にも影響が出ているのかもしれませんね。
寝る直前に蚊を探していたので、布団で落ち着いたときは汗ばんでいました。暑いなぁ〜と思いつつ、あることを考えていました。暑いと身体が感じることと、不快だなぁと感じることは、全く別だということです。
暑いと感じるのは周囲の温度を身体が感知しているだけです。それ以上でもそれ以下でもありません。でもそのことを不快だと感じるか感じないかは、その人の自由に任されています。昨晩の私は、暑さに抵抗することを手放していたので、全く不快だと感じることがありませんでした。
ところが私たちは、そうした客観的事実と感情が癒着していることが多いと思います。暑いと身体が知覚すると同時に、嫌だぁ、不快だぁ〜という感情が発動します。そこで一歩踏みとどまって、自分がどのような感情を選択するかを決定する余地がありません。
それは私たちが記憶という「今、ここ」から離れた意識と密接に結びついているからです。そのとき、その瞬間の出来事に対する感情を自由に選ぶことができるのに、固定されたパターンの感情を誘発してしまいます。それは私たちが無意識であり、「今、ここ」に存在していない証拠ですね。
原因があって結果があるという「因果論」に支配されていると、そうした過去の記憶に影響されます。過去生にこだわる人も、自分の現在の状況の原因を過去生に求めようとします。しかし自分が「今」どのようにしたいかという「目的論」に意識をスイッチすると、自分の過去にも過去生にも影響を受けません。
その瞬間に自分が「今」をどう感じたいかを明確にすることで、最も必要な感情を選択することができます。どれだけ暑くても、不快だと感じたくなければそうすることは可能なのです。自分の感情の動きをじっくり見つめる心の余裕を持つことが、「今、ここ」にいることですね。感情を自動化させていると、過去に振り回されますよ〜〜〜!
『夢で会える 体外離脱入門』は在庫僅少ですので、お求めの方はハート出版さんや書店に問い合わせてください。Amazonでの注文はこちらです。
『ゼロの物語』3部作は電子書籍のみの販売となりますので、こちらのホームページから販売サイトに行ってくださいね。