名前のない世界
まだ厚い雲が残っていますが、台風11号は神戸をかすめて日本海に抜けていきました。午後から雨があがると、待ちかねていたように蝉が鳴き出したのがとっても愛らしく感じました。
先ほど撮影した大阪方面の写真ですが、甲子園がある西宮市の武庫川では氾濫の危険があるとか……。京都の鴨川や桂川も危険な状態だそうです。これ以上大きな被害が出ないことを祈っています。
さて、今朝突然感じたことをブログに書きたいと思います。「名前」というものについて考えていました。名前が持つパワーというか、そのエネルギーの強さを感じていたのです。ハリー・ポッターが好きな方なら、「ヴォルデモート」という名を口にすることがタブーなのはご存知ですね!
私が大好きなファンタジー小説である『ゲド戦記』にも名前が重要な要素を持っています。魔法をかける相手に本名を知られると、致命的な呪文をかけられてしまいます。そのために普段は通称で呼び合うということが魔法使いたちで行われていました。ちなみに好きなのはジブリの映画ではなく原作のほうですよ〜
つまり物語で使用されるくらい、「名前」というのは大きなパワーを持っているということですね。国よって言語の違いはありますが、固有名詞以外にもあらゆるものに名前がつけられています。そんなことを考えていて、ふと「名前がない世界」という言葉が心に降りてきたのです。
全く名前の存在しない世界を想像してみました。名前がないということは、言葉や文字がない世界です。そしてその言葉により作られた概念や観念が存在しない世界です。
心に浮かんだ場所は、エメラルドグリーンの色彩が眩しい海でした。海岸の周囲は緑の草原が広がっていて、美しい花々が咲き乱れています。遠くにはヨーロッパのアルプスのような雪山が太陽の光を反射させていました。空は真っ青に輝き、白い小さな雲が語りかけてきます。
そこが「名前のない世界」だとすると、ただ全てが「在る」だけだと感じませんか? 海も雲も山も名前であり言葉です。眩しいという言葉や美しいという概念も存在しない世界です。自分が見ている世界を表現する名前も言葉も文字も存在しないのです。ちょっと想像してみてください……。
私はその瞬間、自分と見ている世界との距離が限りなく近いことを感じました。風景と自分との境界線が消滅しているのです。私はこのとき感じました。人間は名前をつけるという行為によって、ワンネス意識を失っていったのではないかと……。
「海」と名付けた瞬間、そこには「海」と「私」という分離が発生します。細かい固有名詞をつけることで、さらに分離が加速します。名前をつけることが知識の始まりであり、アダムとイブがエデンの園で食べた禁断の果実だったように思います。
「名前」にはパワーがあります。「言霊」という力も確実に存在します。その「名前」を究極まで体験した私たちが次に進むべき方向は、「名前」を手放しいてくことではないでしょうか。必要だと思っていた大量の知識を手放していくことが、ワンネスの世界への近道だと感じています。
「名前」のパワーを知りつつ「名前のない世界」を体現したとき、全てがひとつだったと思い出すのかもしれませんね〜
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